私たちは気づいていないものの、メカニズムの観点から見ると、尾骨は日々の暮らしにおいても、極めて重要な役割を担っている。座っている時には(私たちが非常によくする行動だ)、尾骨は体重の分散を助けると同時に、脊柱底部で構造の支点にもなる。荷重を支える主たる構造ではないものの、それでも、この領域全体のまとまりを保つのに貢献している。
進化という観点で見ると、何らかの構造が、たとえ二次的な機能にすぎないとしても、新たな機能を担い始めた途端、その構造を取り除くのははるかに難しくなる。というのも、完全に取り除くためには、主に二つの仕事が必要とされるからだ。発生上の起源を無効にするだけでなく、その構造が担ってきた役割を補う必要もある。
この段階で、私たちヒトの発生生物学的プロセスには、いくつかの制約が生じ始める。よく知られているように、ヒトの胚はいまでも、妊娠の初期段階(受精後4~6週間)の短期間だけ、尾を発達させる。これは、奥深いところに保存された脊椎動物の発生プログラムの一環だ。後の段階になって初めて、プログラム細胞死と組織改造を通じて、最終的に尾が退行する。そして残るのが尾骨というわけだ。
尾骨を完全に取り除くためには、進化を通じて、この発生の道筋を書き換える必要があっただろう。それは、込み入っている上に、リスクも大きい。そうした理由から、完全な消去よりも小さな修正の方がはるかに起きやすいのだ。
ヒトの進化について、尾骨が教えてくれること
尾骨から得られる最も重要な洞察は、進化とは「寄せ集め」である、ということだ。進化は、遺伝によって受け継がれた素材とともにはたらき、何かを一からつくりかえることはしたがらない。こうした観点から見ると、私たちの尾骨は、連続性を反映したものと言える。私たちはヒトになった時点で、新たにやり直したのではない。すでに持っていたものに手を加えたのだ。
場合によっては、この連続性が驚くほどはっきり見えることもある。ごくまれなケースでは、ヒトの新生児が尾に似た構造を持って生まれてくることがある。そうした構造は、根底にある太古の発生上の機構がはたらいていることを私たちがじかに見られる唯一の手段だ。
正真正銘の「先祖返りの尾」は極めてまれだ。そうした尾には、筋肉や、一部のケースでは余分な椎骨などの要素が含まれている。それよりもよく見られるのは、「擬尾(pseudotails)」と呼ばれるものだ。この突起物は、組織や脂肪、または軟骨で構成されており、完全な骨構造はない。どちらのケースも、胚のときに存在していた尾が、完全に退行しなかったために生じる。
これはもちろん、進化の進路が逆行しているサインではない。むしろ、尾の形成に関する遺伝と発生の経路が、完全に消えたわけではないことを伝えるものだ。そうした経路は現在では修正されていて、普段は抑制されているかもしれないが、それでも、私たちが受け継いだ生物学的遺産の一部であることに変わりはない。
進化の観点で見れば、これは理にかなっている。何らかの構造の基礎をなすプログラムの痕跡を完全に消し去るよりは、その構造がいつ、どのように発生するかを調整する方がずっと簡単だ。
そしてこれは、「痕跡器官」という語の本当の意味を改めて伝えている。たいていの人はこの言葉を、「無用なもの」という意味で用いている。だが現実には、痕跡として残る構造の多くは、機能的には縮小されているが、機能がまったくないわけではない。確かに、名残ではあるが、その名残は、今もまだ、生物のシステムに関与しているのだ。


