ブッシュのビジョンを法律に落とし込む闘いは5年にわたり、主に独立性と説明責任の問題に焦点が当てられた。その結果の妥協の一環として、6年の任期をずらして設定する方式が採用された。任期が6年であることにも、任期がずれていることにも、それぞれ理由がある。「卓越した功績のみを根拠として」という文言が設立規定に盛り込まれているのにも、理由がある。
NSBの機能をめぐっては以前から議論があったが、それは常に現行の条件下で争われてきた。2022年にもNSBの役割を近代化すべきだとの議論が巻き起こり、委員会の管理業務を縮小してNSFのあり方を他の連邦機関に近づけるよう提案があった。だが、他の連邦機関とは、まさに政治的支配に最もさらされている存在だ。すなわちトップの任用は大統領の意のままで、政権ごとに優先すべき方針が変わる。
NSFの構造が特異である根本的な理由は、第2次世界大戦後に組織設計を行った人々が、時の大統領や政権の意向で科学予算の配分が左右されることを望まなかったからだ。これまでは、改革を志す者たちでさえこの点を認識していた。NSBの交替制の任期と法的な独立性については、維持を提案していたのだ。
こうした構造は、政権をまたぎ党派を超えた共通の理解に拠っている。つまり、たとえ制約を受けるとしても守るべき価値のある制度が存在するという理解だ。この理解が失われれば、構造そのものも長くは存続しない。
来たる5月5日にNSBの会合が予定されている。議題は決まっておらず、現時点では委員会そのものも存在しない。この空白こそ、委員の解任というニュース以上に注目すべきポイントだ。
問題は、次に誰が委員を務めるのかではない。国立科学財団法で構想された委員会が、今でも実態として存在しているのかどうか、そして、もはや存在していないのだとしたら、米国の科学のあり方はどうなるのか、ということだ。


