その「新しいAI」が情報という名の記憶から犯すであろう誤りに立ち向かえるのは、きっとあなた方の、一見役に立たない道端の記憶なのです。あなた方の記憶には、「心」が伴っています。時にそれは、思い出とさえ呼ばれます。でも、人の心というものが伴っているあなた方の記憶こそが、AIの、より正確で迅速で大量に発信しようとする記憶とは違ったところで大いなる力を発揮するのです。
記憶バトルなどと言って、あなた方の心に住んでいる20年間を、AIとバトルさせること自体がそもそも間違いです。人の心は、AIの外にあります。どれだけAIが心のあるふりをしても、AIがこちらを愛しているふりをしても、それをAIは知識としてしか知らない。
だからこそあなた方東大生も、知識としてしか知らない脳みそになってはいけない。心を伴った脳味噌であって欲しい。
そもそもAIが人間を超えるとか超えないというのは、まったく次元の違う話で、土俵が違うのです。人間には「体」がある。「体」があるからこそ感じる「心」や「感情」がある。AIには身体がないから身体に根差す心もないのです。
これまでの歴史上、科学万能のような時代が幾たびかありました。今日またそんな時代に突入しようとしている、そう見えます。
科学は時に万能のような顔をします。けれどもそのたびに人は、その万能であることの誤りを指摘し、実は世界は不確実なものであることを示してきました。
東大生を前にこれは釈迦に説法かもしれませんが、19世紀の初頭、ラプラースという物理学者が「すべての原子の位置と運動量を把握できれば、未来は完全に予言できる」はずだという、思考実験を提唱しました。
けれども20世紀には、粒子の運動量と位置を、同時に捉えることはできないという、かの有名なハイゼンベルクの「不確定性原理」により、そのラプラースの悪魔と呼ばれた科学は雲散霧消しました。
その不確定、不確実なものこそが、私たちの「身体」です。私たちの「身体」に根差すわたしたちの「心」です。


