半導体の輸出額をも超え、政府が「基幹産業」と位置付ける成長産業のエンターテインメント産業。しかし、その経営の意思決定層は、今なお男性が多くを占めている。その壁を自らの実績で打ち破っていったのが、バンダイナムコエンターテインメント初の女性社長、宇田川南欧だ。
インターネット黎明期からデジタル分野の事業開拓を担い、デジタル事業とグループ経営の結びつきを強める存在として2023年4月に同社社長に就任。同社は25年3月期決算で過去最高業績3295億2100万円(前期比29.6%増)を達成した。事業特性から、ゲームのローンチタイミングなどによって短期的な業績には波が出るが、IPの世界観や特性を生かした商品開発やマーケティングで中長期にわたる事業継続を見据える。
こうした実績を踏まえて「Forbes JAPAN WOMEN AWARD 2025」では、宇田川をイニシアティブ賞に選定。いかにして、その道を切り開いてきたのか。その歩みを探る。
1994年、バンダイ(当時)に入社した宇田川。仕事を覚えるためにも「10年は働く」と心に決め、周囲にも宣言していたという。当時のいでたちは、へそ出しに厚底サンダルという90年代の“ギャル”そのもの。「周りからは『すぐ辞めるんじゃないか』と思われていたのでは」と宇田川は笑う。
こうした自由さも許容される社風が、宇田川のキャリア形成を後押しした。「自分と異なる意見でも『採用してみよう』と判断したり、『これぐらいだったら任せようか』と信頼したりする風土があるんだと思います。だからこそ私も、与えられた仕事を断ったことがないです」
入社3年目にジョインしたのが他社との共同のネットコンテンツ系プロジェクトで、これを機に長年デジタル分野の事業開拓に携わることになる。インターネットも普及していない時代で、このチームでネットワークに関する初歩的な知識を学んだ。1年後にチームが解散すると、広報に「自社もホームページをつくるべきだ」とかけ合ったり、「たまごっち」の初代ホームページを立ち上げたりし、自ら仕事を生み出していく。当時はセーラームーンやたまごっちがブームで、会社の“本流”はあくまで玩具事業。2000年にバンダイネットワークスの設立で同社に転籍した宇田川は「本流にいないな」と感じ続けていたというが、“傍流”での経験こそが、キャリアの幅を大きく広げていくことになった。
チームを率いる面白さに目覚めたのは、2006年に同社コンテンツ事業部のマネージャーに就任したときだった。「自分ひとりでは成し遂げられない大きな成果が生まれた時に、チームで働く喜びを感じましたね」と振り返る。しかし10年に会社は初の赤字に転落。さまざまなコストカットも行われ、当時バンダイナムコゲームスのNE事業本部でマネージャーを務めていた宇田川は、一事業の責任者としての無力感を味わった。「会社の意思決定に携われない不甲斐なさを感じました。もっと意見を取り入れてもらえるような立場になるためには、実績を上げなきゃダメなんだなと」



