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2026.04.28 17:45

危機を迎える花見文化 それを救うかもしれない弘前公園の桜守 | 宮田裕章の辺境未来論 第6回 

この事例が積み重なり、のちに「弘前方式」と呼ばれる管理体系が形づくられていく。剪定、施肥、薬剤散布を三本柱に、根の外科手術、不定根の保護、土壌改良が加わる。1973年には大学から「剪定は桜を弱らせる」との批判が出て論戦が起きたが、現場の実証と論争の応酬が、むしろ技術をさらに鍛えた。切り口にまず墨汁、のちに癒合剤を塗る手法が一般化していったのも、この過程である——りんご農家が果実を守るために重ねてきた所作が、そのまま桜を生かす所作に転位した。

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そして2014年、弘前市は管理を個人の技から組織の知へと組み替えた。樹木医を新たに公募で採用し、樹木医を中心とする3人体制と現場作業員約40人からなる「チーム桜守」が発足する。担当者一人の経験に依存せず、世代を越えて継承できる仕組みへ。毎年2月下旬から3月末、満開前の静かな時期に剪定が始まり、春の施肥、初夏の薬剤散布、秋の土壌改良、冬の雪囲いまで——1年365日のうち、花見客が訪れる2週間ほどを除いたすべての日が、桜の次の100年のための時間である。

結果として、弘前のソメイヨシノは「60年で果てる」という定説を静かに裏切り続けてきた。手を入れなかったソメイヨシノは60年で寿命を迎え、手を入れ続けたソメイヨシノは145年の花を咲かせている。この差は、樹木の性質ではない。管理を続ける体制を持てるかどうかの差である。そしてその体制は、一朝一夕には作れない。一人の職員の偶然の剪定、二代にわたる樹木医による体系化、市による公的組織化——半世紀以上の蓄積が、いま咲いている一枝の背後にある。

弘前方式は、いまや全国の桜管理の参照点になっている。目黒川でも、国立でも、長期管理への転換はすでに始まっている。北の辺境のりんご栽培で培われた剪定の知が、明治の武士が植えた桜を救い、その桜を救った知が、いまや全国の「日本の春」を延ばしている。中心が「日本の春」と呼んできた風景を、辺境が静かに延命させている。

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その花を100年先まで咲かせるには

「辺境未来論(Resonant Regions)」と題してこの連載を続けてきた。辺境とは、遅れた場所ではない。問いを急いで閉じない場所、中心の論理では測りきれない時間が堆積している場所のことである。中心はしばしば、目の前の花を急ぐ。同じ品種を、一斉に、広く植える。その勢いがあってこそ、戦後の日本は短期間に桜の国になった。ただ、その花を百年先まで咲かせ続けるための知は、効率の尺度のなかでは立ち上がりにくい種類のものだった。辺境の手仕事のなかで、誰にも急かされない時間をかけて、静かに積み上がっていったのである。

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文、写真=宮田裕章

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宮田裕章の「辺境」未来論 ──Resonant Regions

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