ところが、この一斉終焉の時代を、ひとつの土地はまったく別の時間で生きている。
青森県弘前市、弘前公園。ここには約2600本、52種類の桜が植えられ、そのうち樹齢100年を超えるソメイヨシノが300本以上ある。最長寿の木は2026年現在、推定樹齢145年——戦後の植樹ではない。1882年、明治15年に植えられたものが、いまもなお花を咲かせている。
この木を植えた人物の名を、菊池楯衛という。
廃藩置県で職を失った旧弘前藩士、菊池楯衛は、子どもの頃から花や木をこよなく愛したと伝わる人物である。明治政府から配布されたさまざまな苗木の中に、彼はりんごを見出した。寒冷な津軽の風土に適していると見抜き、無職となった旧藩士たちにりんごの苗木を分け与えたのがこの人物である。津軽りんごの起点は、ここにある。そして彼は同じ時期に、もう一人の旧藩士・内山覚弥らとともに、荒廃していた弘前城跡にソメイヨシノ1000本を植えた。廃藩置県から十年余、津軽家が去って陸軍省管轄に移った城跡から人の営みは退き、濠の水は枯れ、橋は朽ち果てていたという。その景に、ふたたび人の手を取り戻すための行為だった。武士の失業と城の荒廃という二つの喪失が、りんごと桜というふたつの木の植栽に繋がった。
しかし物語の本当の転機は、それから70年後に訪れる。
1950年代、弘前公園の桜が樹勢を失いはじめていた。明治期に植えられた木々が、ちょうど寿命と呼ばれる時期に差しかかっていたのである。当時の園芸の常識は「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」——桜の枝を切ることは切り口から病気が入るとされ、禁忌だった。
そこに、実家がりんご農家だった一人の公園職員がいた。彼は、慣れ親しんだりんごと同じように、弱った桜の枝を思い切って剪定した。最初は市民から叱られたとも伝わる。しかし翌年、切った先から新しい元気な枝が出て、木は鮮やかな花を取り戻した。桜とりんごは、同じバラ科だった。津軽の土地でりんご農家が半世紀以上かけて磨いてきた剪定の知が、70年前に武士が植えた桜を救うことになった。


