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2026.04.30 14:00

AIサーバー需要で売上52%増の台湾チェンブロ、率いるのは70歳「シャーシの女王」

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約250万円の創業資金でチェンブロを立ち上げ、米Kayproを最初の顧客に獲得

現在のチェンブロが手がける複雑なシャーシは、創業当初の簡素な製品からは想像もつかないほど進化したものだ。会社を立ち上げる発想は夫のレオンによるものだったと、マギー・チェンは振り返る。創業資金の50万台湾ドル(約250万円)は、非公式な貸付組織から借り入れたもので、現在の価値ではおよそ110万台湾ドル(約550万円)に相当するという。

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1984年に投入した最初の製品は、フロッピーディスクに切り込みを入れて記憶容量を倍にするための簡素なツールだった。やがてレオンが、コンピューター部品の方がもっと収益性の高い事業になると考え、2人はIBM製コンピューターを購入して分解し、その内部構造を調べた。すると、PC部品そのものを製造するだけの専門的な技術力を自社が持たないとすぐに分かった一方で、主要部品を収める筐体なら事業化できると判断した。

共同創業者3人は1985年、横置き型のPCシャーシを発売した。業界誌に6カ月間広告を出し続けた末、米国のPCメーカーKayproを最初の顧客として獲得した。受注が増えるにつれて、チェンブロは米国で顧客基盤を広げ、マギーは製品サンプルを抱えて展示会を渡り歩いた。3人は代金を前払いで受け取ることで資金繰りを回した。創業初期は、机が2つしかない小さなオフィスで業務をこなし、生産は中国本土に外注することでコストを抑えた。現在のチェンブロは、世界で3300人を雇用し、7つの国と地域に拠点を構えている。

1989年に自社製品の製造を始め、大型サーバー筐体の発売へ

チェンブロは1989年に自社製品の製造を始め、台北の工業団地で借りたスペースに組立ラインを設けた。その5年後には、台北近郊の工業都市である桃園に最初の工場を開設した。1997年、中国本土の製造委託先の1社が経営難に陥ると、同社は現地にも自前の工場を設けた。

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同じ年にチェンブロは、タワー型シャーシを投入した。これは主に中小企業で使われる縦型ユニットで、同社にとってサーバー市場向けの最初の製品だった。1999年には、複数のサーバーを収容でき、データセンターに適した大型筐体であるラックマウント型シャーシを発売した。

こうした大型サーバー筐体の初期顧客の1社が、データセンター向けインフラを設計するZT Systemsだった。「ZTは、データセンターが将来の主戦場になると考えており、その分野で当社が力になれると見ていた」とマギー・チェンは語る。ZTは2025年、AMDに買収され、その後AMDは資産の一部を米電子機器メーカーのサンミナに売却した。3社はいずれもコメント要請に応じておらず、チェンブロもZTが現在も顧客かどうかは明らかにしていない。

マギー・チェンによれば、チェンブロの初期顧客の多くは「戦略上の誤り」で倒産した。その1社に挙げられるKayproは1992年に破産したという。彼女がそこから学んだのは、顧客が何を必要としているかを見極めることの重要性だった。米国の顧客からPCシャーシが机の上で場所を取りすぎると不満が出ると、チェンブロは横置き型ケースを縦に設置できるスタンドを設計した。そのスタンドが飛ぶように売れ始めると、チェンは本当に必要とされているのは縦型シャーシだと気づき、顧客から明確な要望があったわけではないにもかかわらず、その開発に踏み切った。「私は、顧客の視点に立って需要を生み出すことを信条にしている」と彼女は語る。

レオンとフランクはともに1980年代半ばから後半にかけてチェンブロの経営の前線から退き、それ以降はマギーが会社を築き上げていった。当時の業界は、彼女自身の言葉を借りれば、男性が主導し、ゴルフと酒の付き合いがものを言う世界だった。1980年代から2013年まで約30年にわたり社長を務めた彼女は、顧客よりも工場労働者と交流することを好む、異色の経営者だった。「金属プレスの現場で働く人は本当に汗まみれだった。だから私は顧客ではなく、現場の労働者と酒を飲んでいた」と彼女は振り返る。

2013年にチェンブロへ入社し、マギーのアシスタントを務めたコロナ・チェンは、入社前から彼女と友人関係にあった。ハイテクハードウエア業界で女性が事業を築くのは簡単ではないと指摘するコロナは、2018年に社長に昇格し、2023年には新設されたCEO職に就いた。彼女は、上司であるマギーについて、「細部まで目が行き届き、野心的で営業の天才だ」と評している。

苦労の多い生い立ちに支えられている経営スタイル

台湾で「シャーシの女王」と呼ばれるマギー・チェンは、自身の経営スタイルについて、チェンブロで働くすべての社員が、工場の現場からどれだけ離れた立場にいても、進んで手を動かし、中核となる製造工程に情熱を持つべきだという信念に支えられていると語る。「心には熱意を持ち、指先には現場の汚れをつけていなければならない」と彼女は言う。

こうした泥くさい姿勢は、チェンの生い立ちの中で培われた。彼女は1949年、国共内戦(国民政府と中国共産党との間で勃発した内戦)の最中に中国本土から台湾へ逃れた両親のもとに生まれた6人きょうだいの2番目の子どもだった。父親は公務員、母親は専業主婦だった。家計は苦しく、チェンは10代の頃、生活を支えるためにさまざまな仕事をしていたという。母親がリンパ腫を患う中で、チェンは国立政治大学の銀行学科で金融を学んだ。母親は病気を克服し、現在は90代になっている。「苦労こそが最高の教師だ」とチェンは語る。1977年に大学を卒業した後、彼女は印刷工場や小さな貿易会社で働き、その後チェンブロの立ち上げに加わった。

創業初期から会社を大きく変えてきたチェンは、今なお困難に直面しているという。チェンブロが30年前に販売していたシャーシは、現在の高度な筐体とはまるで別物だ。「材料も機械も製造方法も、すべてが変わった」と彼女は語る。だが、起業家としての彼女は、そうした困難をむしろ歓迎している。「難しいことにこそ価値がある。難しくなければ、我々はやらない」と彼女は語った。

forbes.com 原文

翻訳=上田裕資

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