タコの足のようなフィジカルAIを目指す
例えば、工場の基板検査装置がセンサーではんだ付けの異常を察知し、その前工程が不具合の原因を推定し、装置自らがクリーニングを行う。脳からの指令を待たず、現場で得た身体感覚を用いて機械同士が自律的に判断し、行動する。ごくわずかな振動や温度変化、人間の目には見えない劣化の予兆といった、製造現場などで必要となる知性は身体と環境との相互作用のなかで生まれるというのがオムロンの考えだ。
それは「タコの足のようなもの」だと諏訪は表現する。タコの足には神経細胞が張り巡らされていて、それぞれの足が自律的に情報を処理しながら行動できることが最近の研究で明らかになっている。理想の絵は描けている。だが、今はまだ「理想の2割にも到達していない」と諏訪は言う。
理想に到達するためには3つの課題を乗り越える必要がある。第一に、顧客の課題にダイレクトに迫ることができる五感、すなわちセンサーの進化だ。第二に、五感で得たデータを価値ある情報に変換する質の確保が欠かせない。第三の課題が、ネットワークの端末機器に直接搭載した「エッジAI」の知能の向上だ。
「AIはまだ人間社会にコミットしていない。道具止まりです。AIや機械が社会に溶け込み、人間と共生しながら生活をより良いものにしていけるようになったとき、AIは初めて人間の同僚になれると思います」
オムロン創業者の立石は「機械にできることは機械に任せ、人間はより創造的な分野で活動を楽しむべきである」という理念を掲げた。この理念を実践するには何が必要か。諏訪の答えは、「人間が『進歩志向意欲』をもち続けること」だ。
それはオムロン社内にも当てはまる。オムロンでは23年8月から、生成AIを活用して業務プロセスへの適用を検証する社内プロジェクト「AIZAQ」に取り組んでいる。業務課題と熱意をもつメンバーと、生成AIの専門知識や知見をもつ社員がタッグを組み、現場の困り事を生成AIで解決する。このプロジェクトを通じて業務プロセスの可視化や効率化はもちろん、社員一人ひとりが自律的かつ持続的に業務生産性を高める組織になることを目指す。
社員の主体性を重視するため、参加は手挙げ方式にした。23年9月に開始したシーズン1では、10人という当初の想定をはるかに超える200人以上が参加した。シーズン5が終わった26年3月末時点で、のべ1,200人超が100以上のテーマに取り組んだという。この数字に、オムロンの社員の進歩志向意欲の高まりを感じる。
サイニック理論が次なる社会の姿として描くのが「自然社会」だ。自然社会とは、人も技術も自然の一部となり、調和がとれた持続可能な社会を指す。
世界がさまざまな課題に直面するなか、私たちは自然社会を迎えることができるのか。その鍵は、私たちが健全な進歩志向と共生意欲をもち続けられるかどうかにかかっているのかもしれない。
諏訪正樹◎立命館大学大学院理工学研究科博士後期課程修了後、オムロンに入社。信号処理や機械学習のアルゴリズム、3D画像計測原理、計測アルゴリズムの研究開発に従事。2018年2月にオムロン サイニックエックス代表取締役社長に就任。22年3月よりオムロン執行役員。


