その後、筆者はもう一つのことを考えた。あの場面を、たくさんの人が見ていた。実際にSNSでは多くの人がこの発言に言及し賛否両論の議論が交わされていた。現職の最高権力者の言葉だったからこそだ。
コミュニケーションにおいて、トーンポリシング(Tone Policing)という概念がある。議論の内容や論点そのものには答えず、相手の「態度」や「感情の出し方」を問題にすることで、議題をすり替える行為だ。
「怒ってるの?」「そんな言い方しなくても」「攻撃的だね」「感じ悪い」。こうした言葉が発せられた瞬間、議論テーマは「意見」から「人格・感情」へと移行する。本来「意見には意見で返す」べきところを、感情のラベルで返すことで、議論の土俵そのものを変えてしまう。
これは論理学でいうアド・ホミネム(Ad Hominem)の一形態でもある。アド・ホミネムとは、論点ではなく人を攻撃することで議論を無力化する手法だ。「その意見は間違っている」と反論するのではなく、「その意見を言っている人間に問題がある」と印象づけることで、議論に答えることなく相手を追い込む。
「こわーい」も「意地悪やなあ」も、構造的にはこれだ。意見への反論ではなく、意見を言った人間への感情評価。しかも一見すると攻撃的ではなく、むしろ被害者的なトーンを帯びている。だからこそ始末が悪い。
そして、この手法を使われた側には特有の「詰まり」が生じる。感情のラベルを貼られると、その言葉に「返答」するしかなくなるからだ。「こわくない」と言えば、こわくないことを証明する義務を負わされる。黙れば、「やっぱりこわい人だ」と見られる。どちらを選んでも、本来の議題には戻れない。これがコミュニケーションの構造的な罠なのだ。
国際的な場で「議論に答えない」はNG
興味深いのは、この技法が「論理的な人ほど不利になる」可能性が高いという点だ。
論理的に話す人間は、言葉を正確に使おうとする。感情より筋道を優先する。だから「こわーい」と言われた瞬間、思考が一瞬フリーズする。「今、何が起きた?」という戸惑いが先に来る。そのわずかな隙に、会話の主導権は完全に相手に渡ってしまう。
一方、この技法を使う側に高度な論理は必要ない。形容詞一つでいい。「こわい」「意地悪」「攻撃的」「感じ悪い」。たった一語で、相手がどれだけ丁寧に積み上げた論点も、一瞬にして「不快な人間の発言」に変換できる。
これは会議室でも、SNSでも、家庭の食卓でも起きている。部下が正当な問題提起をしたとき、「君はいつもそういう言い方をするね」と返す上司。パートナーが冷静に不満を伝えたとき、「また怒ってる」と遮る相手。議論に答えない代わりに、議論をした人間の「感情」を問題にする。すると不思議なことに、最初に冷静かつ理論的に指摘をした側が、いつの間にか「問題のある人間」になっている。
グローバルなビジネスの舞台では特に、この構造は致命的だ。


