元バイスプレジデントによる訴訟を機に、米テック業界の中東マネー依存が見えてきた
インサイトの出資構造が明るみに出たきっかけは、同社の元バイスプレジデントのケイト・ローリーが12月に起こした訴訟だった。彼女は、不当解雇とハラスメント防止義務違反を理由にインサイトを提訴した。元フェイスブック社員のローリーは、2022年にインサイトのベイエリア拠点に加わり、そこでハラスメントや差別を受けたうえ、「医療休暇を取得したことで会社から報復を受けた」と訴えている。ローリー側の弁護士によれば、彼女は報酬パッケージの削減について苦情を申し立てた後の2025年5月に解雇された。現在も係争中のこの訴訟でインサイトは、ローリーの訴えが「根拠のない主張だ」と強く否定している。インサイトはコメントを拒否した。
「我々は連邦裁判所に訴えを起こして初めて、所有関係を隠している法人を実際に誰が所有しているのかを明らかにすることができた」とローリーは語る。彼女の訴訟自体はこれまでにも報じられていたが、インサイトとアブダビ政府とのつながりに触れたものはなかった。
VC業界やこうした巨大ファンドの間で起きる争いの大半は、密室で処理される。社員やパートナーは秘密保持契約やさまざまな契約に縛られており、対立は、ファンドの機密情報や社内の深刻な対立が表沙汰になりかねない厄介な訴訟ではなく、非公開の仲裁で解決するよう求められるのが一般的だ。
今回のようなVC業界の内幕を世にさらす大型訴訟が、以前に注目されたのは、10年以上前にクライナー・パーキンスの元パートナー、エレン・パオが、古巣のファンドを訴えたケースだった。彼女は2012年の解雇後に性差別を理由とする訴訟を起こしていた。陪審は2015年3月、4週間に及ぶ審理の末にパオの訴えを退けたが、その過程で同社の社内でのやりとりや報酬体系の多くが公になった。
その後の10年で、テック業界の規模は大きく膨張した。その背景には、主に中東から流入した外国資本があった。年金基金や大学基金といった従来の出資者は資金繰りが厳しくなり、地政学的な緊張の高まりで、中国やロシアの富裕層投資家も多くのテクノロジーファンドにとって事実上、受け入れにくい存在になったためだ。この間に、インサイト自身も運用資産を10倍に増やした。同社はAnthropicやDatabricksに積極的に投資しているほか、バイオテック企業Averna Therapeutics、AIスタートアップのWriter、瞑想アプリのCalmにも出資している。インサイトは、OpenAIが3月末に完了した1220億ドル(約19.4兆円)の大型資金調達ラウンドにも参加した。
中東の各国政府は、テクノロジー分野に数千億ドル(数十兆円)規模の資金を投じてきた。サウジアラビアの政府系ファンドは、Uberやソフトバンクのビジョン・ファンドの有力な出資者であり、インサイトを含む有力VCファンド数十社にも、少なくとも年間30億ドル(約4770億円)を投じてきた。UAEもスタートアップやファンドへの独自投資を進めており、新設した1000億ドル(約15.9兆円)規模のファンドMGXは、OpenAIやAnthropicといったAI企業の有力な支援元となっている。5800億ドル(約92.2兆円)を運用するカタール投資庁も、テック分野の新たな支援勢力として存在感を強めている。
こうした絶対君主制の国々の人権状況や、2018年にサウジアラビアで起きたジャーナリストのジャマル・カショギ殺害事件を背景に、シリコンバレーが中東の政府系ファンドに依存していることは、創業者や投資家の間で繰り返し論争の的になってきた。中東の政府が米国のVCファンドの持ち分そのものを保有するとなれば、それはより深い提携のシグナルでもあり、センシティブな問題になりかねない。


