(4)自分の直感に従え
ワレンタスは、自分が本当に好きなものを見つけ、それを追いかけるべきだと勧めている。「人の関心はそれぞれ違う。自分の直感に従うべきだ。若いときは、目の前に世界が丸ごと広がっている。失敗しても、またやり直せばいい。とりわけ若いうちはなおさらだ」と彼は語る。
1966年にコンサルティング会社ピート・マーウィックで働くためニューヨークに移った後、ワレンタスは夜になると、街の荒れた地域を何度も歩き回っていた。そうするうちに、彼は自分が転職すべきだと確信するようになった。「私はただ、不動産デベロッパーになりたかった。何かをつくり、家賃を集め、それを自分のものとして持てるところに魅力を感じた」と彼は振り返る。
(5)思い切って勝負に出ろ
ワレンタスは当初、マンハッタンで物件を買い進めていたが、その後まもなく、寂れた工業地帯にすぎなかったDUMBOこそが、次の有望エリアになると確信するようになった。しかし、銀行はその考えに同意せず、融資を断った。市当局もまた、DUMBOをオフィスや店舗、マンションが並ぶ洗練された街に変えるという彼の構想を理解せず、用途変更を認めなかった。
そこでワレンタスは、自力で道を切り開いた。化粧品業界のビリオネアであるロナルド・ローダーとレナード・ローダーを説得して、600万ドル(約9億5000万円)の私的融資を引き出したうえ、当時のニューヨーク州知事マリオ・クオモとも交渉した。DUMBOの物件取得を可能にしつつ、製造業のテナントも最長10年間は保護するという条件で、合意にこぎつけたのだ。「厳しい局面でも、あきらめないと自分に言い聞かせ続けることが大事だ」と彼は語る。
(6)最良の人生のパートナー選び
ワレンタスにとって、妻との結婚は「人生で最高の選択」だったという。「私たちは、人生のパートナー選びの重要さを、子どもたちにもっと教えるべきだ」と彼は語る。ワレンタスは、自らの成功の多くが、妻ジェーンのおかげだと考えている。2人が出会ったのは1969年、ジェーンが彼からアパートを借りたときだった。
美術を学んでいたジェーンは、当時ローダー兄弟のもとでアートディレクターとして働いていた。そのジェーンの紹介でワレンタスと知り合ったローダー兄弟は、その後、彼の初期の事業を支える出資者となった。ジェーンはまた、化粧品会社クリニークでもアートディレクターを務めていた。夫妻の息子ジェドは現在、Two Treesの日々の経営を担っている。
※編注:
○本稿は情報提供のみを目的とするものであり、児童労働や有償での採血(売血)を推奨するものではありません。○本稿に登場する未成年時代の過酷な労働は、現代の基準では不適切な児童労働に該当し得るものです。日本では日本国憲法第27条や労働基準法第56条などにより、義務教育期間中の児童を労働に従事させることや、児童を酷使することは厳格に禁じられています。
○日本では、血液法(安全な血液製剤の安定供給の確保等に関する法律)などにより、有償での採血は違法です。日本では無償での献血が普及しており、2024年は約500万人が献血を行っています。
ひんぱんに採血を行うことが本人に健康上の副作用をもたらす恐れがあること、輸血された患者も感染症被害の恐れがあること、血液の売買は人身の売買につながると社会問題化したことなどから、血液法のような法律が施行されています。


