※編注:
○本稿は情報提供のみを目的とするものであり、児童労働や有償での採血(売血)を推奨するものではありません。○本稿に登場する未成年時代の過酷な労働は、現代の基準では不適切な児童労働に該当し得るものです。日本では日本国憲法第27条や労働基準法第56条などにより、義務教育期間中の児童を労働に従事させることや、児童を酷使することは厳格に禁じられています。
○日本では、血液法(安全な血液製剤の安定供給の確保等に関する法律)などにより、有償での採血は違法です。日本では無償での献血が普及しており、2024年は約500万人が献血を行っています。
ひんぱんに採血を行うことが本人に健康上の副作用をもたらす恐れがあること、輸血された患者も感染症被害の恐れがあること、血液の売買は人身の売買につながると社会問題化したことなどから、血液法のような法律が施行されています。
ブルックリンの荒廃したウォーターフロントを再生させた不動産分野のビリオネア、デビッド・ワレンタスは、極貧にあえいだ少年時代を経て、数十億ドル(数千億円)規模の不動産帝国を築いた。ここでは、そんな苦難の道のりの中で彼が得た教訓を紹介する。
不動産業で巨万の富を築いたデビッド・ワレンタスは、荒れ果てたブルックリンの海沿い一帯を、活気あふれるDUMBO(マンハッタン橋高架下地区の略称。Down Under the Manhattan Bridge Overpass)と呼ばれる地区に変貌させた。だが、そのはるか昔、大恐慌時代のニューヨーク州ロチェスターで育った彼は、人生の厳しさを身をもって学んでいた。
ワレンタスの父は、ロシア系リトアニア移民の家庭に生まれた米国人で、郵便局に勤めていた。だが、ワレンタスが5歳のときに脳卒中で倒れ、体が不自由になった。母は、ワレンタスと兄を育て、父を支えるために休みなく働いた。それでも十分な稼ぎが得られず、母は兄弟を近くの農場に送り、住み込みで働かせた。
「自分たちは、ただ働きの奉公人のような存在だった。朝5時に起きて牛の乳を搾り、ふんを片づけて、スクールバスで学校に行く。帰宅したら、また同じことの繰り返しだった」とワレンタスは振り返る。
その幼い頃の体験は過酷だった。冬は寒さの中で、夏は暑さの中で眠らなければならず、ワレンタスにとって楽なものでは決してなかった。だが、その経験が彼の向上心に火をつけた。「私が学んだ最大の教訓は、もっと成功したいと思ったことだった」とワレンタスは語る。
問題は、ワレンタスに進むべき道筋がなかったことである。「あれほど貧しいと、ものを知っている人と話す機会すらない」と彼はフォーブスに語る。「大恐慌の時代には、大学に進む人などいなかった。自分には本当の意味でのメンターが1度もいなかった」。そのため、彼は自分で道を切り開くほかなかった。
高校最終学年のある日、校長室に座っていた彼は、1枚のポスターに目を留めた。海軍ROTC(予備役将校訓練課程)奨学金の募集だった。彼は自分で申し込みを済ませ、志望校として2校を丸で囲んだ。1校はハーバード大学。「名前を聞いたことがあったから」というのが理由だった。もう1校はバージニア大学で、「2月だったし、あの辺りならたぶん暖かいだろうと思った」と彼は振り返る。
数週間後、ワレンタスのもとに、バージニア大学のROTCプログラムへの合格を知らせる手紙が届いた。「あれが転機になった。人生が変わった」と彼は言う。
その後ワレンタスは、さまざまな回り道を経てビリオネアの仲間入りを果たした。その間には、軍のために汚水槽の清掃をしたこともあれば、食事代を工面するために血を売ったこともあった。そして最終的にはMBAを取得し、1960年代のニューヨークの魅力に引き寄せられていった。
フォーブスは現在のワレンタスの純資産を20億ドル(約3160億円。1ドル=158円換算)と見積もっている。この資産額により、彼は米国でも有数の富豪の1人となっているが、その原動力になったのが、彼の不動産会社Two Trees Managementだ。ワレンタスは、DUMBOやブルックリンハイツ、ウィリアムズバーグ、マンハッタンの各地で20件以上の住宅や商業施設を所有している。
以下に、最近フォーブスの取材に応じたワレンタスが明かした一端を紹介する。



