ヴィクトリア朝時代の作家アンソニー・トロロープの言葉によれば、「貴族(nobleman)であることにはとても価値がある。だが、ジェントルマンであることははるかに価値がある」。
今日では、ジェントルマンであるかどうかは、生まれよりも性格がより大きく問われる。
ジェントルマンの処世術に関する本を書いたドイツの哲学者マルティン・シェーラーは、「ジェントルマンになるための特定の環境は存在しない」と考える。
「ジェントルマンはおそらく守衛室にもいるだろう。外交上の席や介護施設でも見つかるだろう」と、彼は言う。
シェーラーは、ジェントルマンを特定の態度に定義しようとしている。
それには礼儀正しさ、自制心、皮肉、魅力と並んで、「控えめな態度」も含まれる。
ジェントルマンは目立つのを好まない。挑発もしない。そして、自分を見せびらかすことを徹底的に嫌う。
この点が、ジェントルマンとダンディの違いだ。
ダンディも同じように文句なしのマナーを心得ており、上品な服装を好む。
しかし、注目を浴びたがる。
ダンディがすることはすべて演出で、わざとらしい。鋭いジョークで異彩を放ち、支配層を挑発する。
ジェントルマンはそのようなことはしない。
「ジェントルマンは、道ゆく人が見過ごしてしまうような服装をする。ダンディは、道ゆく人が立ち止まるような服装をする」
──オスカー・ワイルド(詩人、作家)
背後に「本物の人間」がいるようにする
そうこうするうちに、ジェントルマンはだれに対しても使える言葉になっていった。
あなたが男性であれば、女性にドアを開けてあげる。
重いスーツケースを荷物置きに載せてあげる。
それだけで、あなたはジェントルマンになった気分が味わえるだろう。
同時に、ジェントルマンは今の時代にはそぐわなくもなっている。
ひどくせわしい現代社会では、ジェントルマンは穏やかでくつろいだ印象を与えるが、多くの人にはもはやそのような余裕はない。
私たちは絶えず自分のいる位置を見直し、柔軟性を保ち、学び直し、自分のスキルを常にアップデートしなければならない。


