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2026.04.16 15:15

「調和」について考えさせられた、あるコンサートの衝撃

2026年3月15日にイタリア・ミラノで開催した参加型アートプロジェクト『Earth ∞ Pieces MILANO 2026(アース・ピースィーズ ミラノ2026)』

私はこれまで、「調和」という言葉に対してどこかネガティブな印象を持っていました。調和と聞くと、「平均化すること」や「出る杭は打たれる」といったイメージがどうしても重なり、和や秩序を乱すものへの非難を正当化するための常套文句のように感じていたのです。

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だからこそ私は、あえて「きちっと」ではない方向をこれまで選んで歩んできたのですが、最近になって、その姿勢自体が、実は「きちっと」に強く囚われていたからではないか、と感じるようになりました。

安西さんの原稿を読んだ時に、まず頭をよぎったのはアシミレーション(同化)についてです。 アシミレーションとは異質なものが大きな集団や環境に溶け込み、その一部となるプロセスを指す言葉ですが、特に文化や社会的文脈においては、移民や移民文化が新しい環境に同化されていくさまを表す際によく使われます。

文化の多様性が尊重される現代では、アシミレーションよりも、元の文化を保ちつつ新しい文化とも調和する姿勢を指すインテグレーション(統合)が重視される傾向にあります。私自身も、異文化間のブランドデザインやコミュニケーションに関わるなかで、どちらかといえば同化よりも統合を志向してきました。

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しかし、10年間のヨーロッパ生活を経て日本に戻ってみると、「同化すること」に対する感覚が少し変わっている自分に気づきました。特にそれは、身体的な感覚で強く感じています。

たとえば「会釈」です。海外で生活している間は、無意識にお辞儀をしてしまうことにどこか気恥ずかしさを覚え、なるべくしないようにしていました。また、訪日外国人が日本人に向かってお辞儀をしたり、手を合わせる様子にも、どこか居心地の悪さを感じていたのを覚えています。

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その一方で、ヨーロッパでは現地の文化に馴染もうと、身体的なコミュニケーションを意識して身につけたように思います。ハグや頬へのキス、人差し指を挙げて意思表示をする仕草など、最初は不自然で恥ずかしいのですが、そうした小さな動作を取り入れることで、社会との距離がすっと縮まる感覚がありました。

日本での生活に戻った今、そのときに身につけた身振りや距離感を再び調整することになっています。そのなかで面白いと感じているのが、会釈という行為です。

会釈は、ほんの一瞬、動きを緩めて視線を落とす行為です。その短い時間の中で、相手に物理的にも精神的にもわずかな空間を明け渡すことになります。するとその場に、尊重や安心といった感覚を共有する小さな「コモンスペース」が生まれ、会釈する側もされる側も、一瞬確かに距離が縮まったと感じます。

ゴミ捨て場ですれ違うご近所さんや、交通整理の作業員さん、新幹線で席を隣り合わせた人。もしかしたら、別に話すこともなく、一生会うこともないかもしれませんが、会釈によって、彼らと対話ができそうな心持ちになります。

いまの私は、会釈を「選んで」しています。そしてそれは、私のアイデンティティを脅かすものではありません。むしろ、新しい人や価値観と出会うための入り口のように感じています。

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文=安西洋之(前半)・前澤知美(後半)

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