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2026.04.16 15:15

「調和」について考えさせられた、あるコンサートの衝撃

2026年3月15日にイタリア・ミラノで開催した参加型アートプロジェクト『Earth ∞ Pieces MILANO 2026(アース・ピースィーズ ミラノ2026)』

しかし、これはサイズの問題だけでなく、変化のプロセス、または時間の流れも視界の対象に入っているから調和を感じられるのではないかと考えます。「無限」「終わりのない」「未完」という概念ともつながってきます。より正確にいえば、時間と物理空間、それに加えて香りや音などの要素もあってこそ調和とみるわけで極めて感覚的なレベルでの認知といえます。

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したがって、さまざまにハンディキャップある人たちが演者の演奏会でぼくが調和という言葉にいきあたったのは、一見当然の成り行きだったと言えます。しかし、なぜこれまでにこういう実感をもつ経験をもてなかったのか? と考え及ぶと、なにやかんやいって、ぼく自身、言葉をコアに生きてきたのだと思います。

「書く」言葉ではなく「話す」言葉が大切であると散々言い、巷によくみる「言語化できた」「解像度が高い」という表現を嫌っていたにも関わらず、同じような陥穽に落ちていたのです。

ダル・ヴェルメ劇場のコンサートにはピアノを弾く妻と出かけたのですが、偶然、友人である手話通訳者でミラノ工科大学デザイン学部博士課程にいる和田夏美さんが隣の席でした。

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手話通訳者とコミュニケーションをとるSasa-Marieさん
手話通訳者とコミュニケーションをとるSasa-Marieさん

以前、彼女に「言葉を話す人からすると、手話による情報量って少ないように思えるのだけど、そこをどう補うの?」と質問したことがあります。即座に彼女に言われたのは「逆です。手話の方がより微妙な表現ができます。言語として豊富なのです」でした。その時、自分の無知と鈍感を反省したのですが、ぼくはそれまでTVやカンフェランスの脇の手話通訳という一方通行しかみていなかったと分かりました。

実際にコンサートにおいても、9列目という声の会話をするのは難しい距離で、ステージ上のSasa-Marieさんと和田さんが、顔の表情や身体全体を使い、あまりに豊かな手話コミュニケーションを交わしているのをみて、言葉では叶わないと脱帽しました。

調和の実感は、このようなシーンを経験したことも効いています。前澤さん、調和を感じた経験があれば教えてください。

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文=安西洋之(前半)・前澤知美(後半)

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