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2026.04.16 15:15

「調和」について考えさせられた、あるコンサートの衝撃

2026年3月15日にイタリア・ミラノで開催した参加型アートプロジェクト『Earth ∞ Pieces MILANO 2026(アース・ピースィーズ ミラノ2026)』

前半、後半を通じて自ら問わざるをえなかったのは、「調和」をいかに狭い範囲で捉えていたか、さらに言えば、「きちっと合わせる」ことが調和であると思い込んでいた自身の姿です。広い視野でみないと調和が何であるかは見えてこないと考えたのですね。

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演奏会では、楽器グループごとに1人のリーダー格がいて、その人が周囲2、3人の演奏をひっぱり、それらいくつかの小グループがお互いに調和をとっていきます。それだけではありません。Sasa-Marieさんという日本からきた(手話をベースにアーティスティックな表現をする)Signed Musicのアーティストは、指揮者、他の演奏者の音の振動、隣の演奏者の動きだけでなく、観客席の1列目にいる手話通訳者にも「自分の担当のあたりの音楽を、小節で区切って1.2.3.4と示してもらっていた」と言います。加えて、観客たちもノリが良いのです。

子どもの幼稚園の学芸会で接する合唱や演奏を、可愛い子供たちの一生懸命な仕草に悦び、大人になれば「もっとうまくなるだろう」と根拠もなく予想や期待をしていた過去を想起しました。達成すべきレベルがあり、そこに至っていない場合は別の評価基準を考えないといけないという、面倒な思考を強いていたと気づきました。

あるレベルや視野で見ていると、人は「合わせる」ことに集中します。それも「きちっと」。だから、きちっと合わないとイライラしてきます。しかし、初心者であることを楽しみたい人たちは、他ならぬ自分たちの目標値で演奏しているのです。

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こうした視点に目がいったのも、物理的にカタチのあるものを対象にしていないからでしょう。カタチのあるものはどうしても最終形があり、工業製品であれ工芸品であれ、輪郭の明確さをもって見ます。

一方、街の風景や大自然の景観に対しては形状とは別の次元で接触します。よって「自然の調和」という表現が無理なく使われます。つまりサイズが大きいものに対しては調和としか言いようがないと思えてくる。

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文=安西洋之(前半)・前澤知美(後半)

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