2. 相手の境界線だけが優先される
自己啓発の分野で「境界線」という言葉が広く使われるようになり、誰かがこの言葉を口にするのを耳にするだけで、その人が心理的に成熟していることがうかがえる。境界線を引く人は自己認識があり、それを守る人は勇敢だ。この考え方では、自分の時間やエネルギーを慎重に守ることは健全で称賛されるべき行動だ。
しかし、境界を設定していることが(あるいは境界に関連する言葉を使うことさえ)、その友情が心理的に安全なものであることを意味するわけではない。境界線が関係を築くこともあれば、壊すこともある。そして関係を壊す場合、その原因はたいてい不均衡にある。
この不均衡な境界線をその場で解決するのは難しいことがある。そうした行動をありのまま指摘すれば自分が無神経、あるいは有害だと思われることを恐れる人が多いからだ。さらに、その力学に気づくこと自体も同様に困難だ。というのも、それがはっきりと明らかになるまでには時間がかかることが多いからだ。
例えば、あなたの友人が「ストレスを感じているときは一人になりたい」、「心の準備ができるまでは悩みを話したくない」と明確に伝えてきたとする。そして、良き友人としてあなたはそれを尊重する。だが数週間後にあなたが辛い時期を過ごし、距離を取ると、友人はそれを自分への攻撃だと受け止めてしまう。
対照的に、プライベートな時間についてはっきりと境界線を引いている友人を想像してほしい。友人はこの境界線を頻繁に主張し、気分が乗らないときはその境界線を理由によく誘いを断る。しかし友人があなたの時間やエネルギーを必要とする時は、当然のようにあなたが応じてくれることを期待する。
どちらの場合も問題は同じだ。境界線は有効であるにもかかわらず、その効果は一方向にしか働かないために限定的だ。
これは研究者が「境界の崩壊」と呼ぶ現象だ。この言葉は専門的に聞こえるが、多くの人が実際に経験しているものだ。専門誌『Journal of Emotional Abuse』に2008年に掲載された研究では、境界の崩壊を個人間の心理的な区別の喪失や対人関係の役割が曖昧になることと定義している。
著者はその影響について明確に述べている。他人との間で適切な境界が崩れることは、関係において感情が損なわれるリスクを大きく高める。ここで重要なのは「適切」という言葉だ。境界は本来、双方を守るためのものであり、互いが安全で尊重されていると感じるための構造だ。境界が友情における一方の体験を規制するだけの役割しか果たさないなら、それは本来の姿ではない。
友情において境界線がいつ引かれるか、そしてそれが常に誰のニーズを満たすものなのかに注意を向けたい。相手の境界線が絶対的なものとして扱われ、自分の境界線が軽く扱われているなら、それは境界ではなくルールだ。そして自分のニーズが顧みられないまま、相手のルールに従って生きるとその関係で自分を二の次の存在にしてしまう。


