ビジネス

2014.11.26

アメリカから来た日本人・山本マーク豪




「2025年問題」まで、あと10年。すべての団塊の世代が後期高齢者となり、首都圏高齢者人口は爆発する。しかし、そもそも高齢者を一括りにした危機感はおかしくないか?そんな疑問を抱いて事業に乗り出したのは、アメリカからやって来た日本人だった。


(中略)悠々自適のセカンドライフ。これを人は、最高の贅沢という。日系アメリカ人の山本マーク豪は、30代のときにそんな生活を手にした。1990年代、彼は日本でのビジネスで成功したのだ。イギリスのヴァージングループにかけあい、たったひとりでつくったシネマ・コンプレックス(シネコン)事業会社「ヴァージンシネマズジャパン」を日本で12カ所展開。1館あたりの売り上げ世界一を誇る映画館をつくり、映画界の寵児となった。(中略)

しかし、彼は40代になる前に引退した。2003年のことだ。自叙伝『ポップコーンはいかがですか?100億円企業を5年で作った男』(新潮社)を書き上げ、10年あまり生活した日本をあとにしたのだった。(中略)

「パパ、僕はまた日本に戻ろうと思うんだけど」タックは一呼吸を置いて、息子を諭した。「マーク、日本はずいぶんと変わった。目的をもって帰らないとダメだよ」
日本社会の変化。マークはシネコン時代に、すでに気づいていた。(中略)

12年、再び日本にやって来たマークは、「コンティニューム」という会社を立ち上げた。シネコンで成功した彼のもっとも得意とするのは、“場”のビジネスを変えることだ。映画だけを見せるだけの場を、体験型サービス事業に変えて、収益構造そのものを変えた。超高齢化社会で彼が挑もうとするのは「セカンドライフ」のナビゲーターとして場をつくることだ。現役を引退した人たちの活動の場は、認証NPO法人、公民館、生涯学習センター、カルチャーセンター、スポーツクラブと多岐にわたる。バラバラのサービスは画一化しがちだし、場をひとつにすれば、カリキュラムの新たな開発ができる。Facebookのようなソーシャルネットワークのリアル版である。
もっとも画期的な点は、「高齢者」という年齢で社会を区切らないことにある。子育てが終わった女性からシニアまで「オフキャリアの人々」のプラットフォームをつくるというものだ。この社会で自分ができることは何か。施設で介護の手伝いをしながら思い至った答えは、「人間の寿命は延びているけれど、社会的寿命こそを延ばすべきだ」ということである。 マークは、タックの友人たちにヒントを求めた。元気な退職者たちはスポーツクラブや 趣味の講座に通ったり、友達とお茶を飲んだりと、やりたいことはたくさんある。 マークは聞いた。「そんなにあちこちに通って、疲れないですか」。「疲れるよ。だって、不便だもの」。「だ ったら、1カ所にまとめた複合施設があれば、便利ですか?」。そうマークが聞くと、「マーク、それはいいね」という返事が返ってきた。
複合的なサービスをひとつの施設に集めれば、やりたいことをもっと引き出せることにもなる。前述したように、退職者たちの活動の場を調べると、公民館からスポーツクラブなどさまざまだ。単に場を提供するだけでは、波長の合わない人や価値観の違う人が諍いになりかねない。会員制にして、お互いを尊重するマナーの理念を徹底すれば、トラブルもない。
「コミュニティの新しいプラットフォームをつくろう——」これがマークが考えた新しいソーシャル・ビジネスとなった。(以下略、)

藤吉雅春

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