組織の機能不全には、振り返り(ポストモーテム)に決して載らない類いのものがある。それは文化や価値観という言葉の内側に潜み、変革の語彙に包まれている。
私はこれをStructural Nostalgia(構造的ノスタルジア)と呼ぶ。そしてそれは、多くのリーダーが認めたがらないほど、ありふれている。
私たちは長年、過去を美化するリーダーについて語ってきた。「古き良き時代」──意思決定がもっと速く、チームは小さく、信頼は当然視されていた頃──を持ち出すタイプのリーダーだ。だが、より危険なのは過去を語るリーダーではない。静かに過去を温存したリーダーである。
構造的ノスタルジアは感傷ではない。設計である。
それは、書き換えられないままの方針に宿る。組織図が何を示そうと、意思決定の権限が相変わらず同じ3人に流れ込む構図に宿る。解決すべき問題よりも長く生き延びた承認プロセスに宿る。情報へのアクセス、リーダーへのアクセス、リソースへのアクセスが、役割や必要性ではなく、「正しい」集団、「正しい」部族、「正しい」フロアへの近さでいまだに決まっている現実に宿る。
「古き良き時代」は見つけやすい。「古き良きやり方」はそうではない。
新しいボトルに古いワイン
組織は一定の頻度でラベルを張り替える。部門名は変わる。施策は再始動する。フレームワークは更新版の資料と新しい略語を得る。至るところで動きが起き、目に見え、しばしば高コストで、頻繁に祝福される。
そして、表面を少し削ると。
レガシーはまだそこにある。古い報告ラインは名称としては消えても、実務としては健在だ。新しいプラットフォームは導入されたが、誰が何にアクセスできるかという判断は、以前の仕組みを統治していたのと同じ委員会が、同じ基準で、同じ境界を守るために下している。
これほど確実に起きる理由には、心理学的な名称がある。Rosy Retrospection(バラ色の回想)とは、記憶が体系的に過去を美化し、つらかった部分を和らげ、うまくいった点を誇張し、現実よりも整って機能的だったかのような歴史を提示してしまう認知バイアスのことだ。リーダーは「かつてのやり方」の編集済みの版を抱えている。そして実際の過去ではなく、その編集版の上に未来を築いてしまう。
これはテクノロジー領域で特に目立つ。組織はインフラを置き換えるために8桁規模の投資をする。新システム、新アーキテクチャ、技術レイヤーにおける本物の変革だ。だが、そのテクノロジーを統治する方針や手続きはどうか。誰がそれで何をできるかを決める意思決定権限はどうか。そこはほとんど手つかずのまま、先代システムを支配していたのと同じ論理で守られる。
新しいプラットフォームは稼働した。研修も終わった。全社会議でローンチが祝われた。だが、その最も重要な機能へのアクセスは、昔と同じ人物を経由したままだ。セキュリティプロトコルのせいではない。誰が誰を知っているかの問題である。テクノロジーは変わった。門番は変わらなかった。
ボトルは新しい。ワインは古い。
選択的改革者
名づけるべき特有のパターンがある。真摯な意図をもって着任するリーダー。正しいスピーチをするリーダー。そして静かに、最も変える必要のあるものの周囲に堀を築き、組織と対峙する役目を「新しいもの」だけに負わせるリーダーである。
これは単なる抵抗ではない。行動経済学者がEndowment Effect(保有効果)と呼ぶ、より特定の現象だ。人は自分がすでに持っているものを体系的に過大評価する。カーネマン、セイラー、クネッチは画期的研究でこれを示した。所有しているという事実だけで、対象の実際の価値とは無関係に知覚価値が膨らむ。組織に当てはめれば、リーダーが継承した構造を過大評価するのは、その構造が優れているからではなく、それが「自分のもの」だからである。彼らはその構造の中で昇進し、形づくられ、渡り方を知っている。
検証されていない新しいやり方、再編されたチーム、実験的なプロセス、変革を起こすために採用された新顔は、庇護なしで前線に送られる。彼らは組織の摩擦を真正面から受ける。うまくいかないとき、診断はたいてい「新しいアプローチが機能しなかった」となる。だが実際には、機能する条件が与えられなかっただけかもしれない。
一方で、機能不全の中心にあるレガシー構造は、静かに保護される。主として「所有」の積み重なった重みを通じて。あるいは明示されないが常に存在するリスク計算を通じて──「あまりに組み込まれすぎていて触れないもの」がある、という計算だ。
その結果、外縁は変えるが中核は温存する変革が生まれる。
隠れ蓑としてのカルチャー
構造的ノスタルジアが最も直視しづらくなるのはここである。ある時点から、古いやり方は「古いやり方」として語られなくなる。文化の言語へ吸収されていくのだ。
ここではこうやって仕事をする。
うちは関係性ドリブンの組織だ。
これが私たちだ。
私の勤務先であるギャラップのデータによれば、従業員エンゲージメントがゆっくり回復する一方で、組織のミッションと心からつながっていると感じる従業員の割合は低下している。人は出社する。だが腹落ちはしていない。エンゲージメントを演じることと、組織が実際にやっていることを信じることの間にあるこの隔たりこそ、構造的ノスタルジアが生み出すものだ。
要するに、これまでアクセスを持っていた人は今後も持ち続ける。持たない人は「関係性の問題だ」と言われる。関係性を築け、と。まるで、関係性がすでに近接の積み重ねで築かれており、新参者にはその近さ自体が与えられてこなかったことなど存在しないかのように。
語られないのは、アクセスが「どの関係性を持つか」で決まるという事実だ。つながりの文化には会員制の構造がある。関係性ドリブンであることは、実務上、達成できることが「当該の集団、部族、サイロの内側か外側か」によって制約されることを意味する。
この見立てでは、カルチャーはアクセス統制のためのカバーストーリーになる。帰属を語る言葉を提供しつつ、排除の実践を覆い隠すのだ。そして「文化」として、つまり獲得され自明のものとして枠づけられるため、検証の対象になりにくい。異を唱えれば、価値観そのものに異議を唱えるかのように見えてしまう。
アクセスの経済
ほとんどの組織には「物事の進み方」が2通りある。公式版は組織図、プロセス文書、バリューステートメントの中にある。実態版は、誰がどの会議に呼ばれるかの中にある。誰が1時間以内に返信を得られるかの中にある。誰が意思決定が「意思決定になる前」にその話を聞くかの中にある。
組織における集合的ノスタルジアは、単に過去への好意を温める以上の働きをすることがある。それは、肯定的に記憶された歴史の一部だった人と、そうでなかった人の間に境界線を引く。古参と新参。内部者と外部者。ノスタルジアは振り返るだけではない。誰が属するかを決める。
これはPermission Architecture(許可のアーキテクチャ)が最も根深い形で作動している状態だ。掲げられた統治モデルではなく、現に生きている統治モデル。役割や説明責任ではなく、在籍年数、顔なじみ、部族的メンバーシップの上に築かれたものだ。新しいテクノロジーはそれを破壊しない。新しいリーダーシップも自動的に解体しない。破壊するのは、アクセスこそが本当の通貨であり、多くの組織ではそれが10年前と同じ論理で配分されている、と名指しする覚悟を持つ誰かである。
好きなだけメリトクラシーと呼べばいい。あなたが描写しているのは、より巧妙にブランディングされた年功序列だ。
そしてこれを自己持続的にするものがある。アクセスの経済を最も変えられる人々は、そのコストから最も守られている人々でもある。彼らはその内側でキャリアを築いてきた。どの扉が開くか、どの扉は別のノックが必要かを知っている。彼らに制度の再設計を求めることは、自発的に地図を手放せと言うに等しい。
多くは手放さない。そして試みた者は、すぐに「Courage Tax(勇気の税)」を知る。アクセス構造に挑むことは、プロセスに挑むことではない。文化、関係性、信頼に挑むことだ。制度がうまく機能している人々に疑義を突きつけることだ。これはポリシーの議論ではない。脅威なのである。
善意に見える「保護の仕組み」
構造的ノスタルジアが変化にこれほど強いのは、内側にいると機能不全に感じられないからだ。これらのシステムを維持する人々は、多くの場合、悪意で動いているわけではない。彼らは文化を信じている。古いやり方が機能すると信じている。なぜなら、彼ら自身の立ち位置とアクセスのもとでは、古いやり方は実際に機能しているからである。
だが、その立ち位置の外に出ると、構造は違って見える。制度知を守る方針は、誰がそれを土台にできるかも制限する。品質を担保する意思決定権限は、誰の声が届くかも決める。部族の内側で信頼を育む関係性ドリブンの文化は、その部族に入ることを大幅に難しくする。
ギャラップの調査では、自組織のリーダーシップを信頼していると強く同意する従業員は19%にとどまる。これはコミュニケーションの問題ではない。人格の問題でもない。変革が約束するものと、構造が実際に提供するもののギャップが見えてしまうときに起きることだ。
これは実質的に「保護の仕組み」である。冷笑的なものではないが、それでも保護の仕組みには違いない。構造は、自らを安定、文化、物事の進み方と同義にすることで自己防衛する。疑問を呈する者は、より大きな何かに疑問を呈していることになる。挑戦は常に、帰属への攻撃として言い換えられる。
「古き良き時代」は常に手放しやすかった。誰も声高にノスタルジアを弁護したりはしない。「古き良きやり方」は違う。弁護を必要としない。すでに構造に組み込まれているからだ。それは選択肢としてではなく事実として、歴史としてではなく「ただそういうものだ」として提示されるために存続する。
その結果、組織は変革を購入し、ノスタルジアを設置する。変化の語彙と、保全のインフラを併せ持つ。古いやり方に最も近い人々が、どの新しいやり方を試す価値があるかについて最も発言力を持つ。これは文化ではない。乗っ取りである。



