機械の管理者としての常時待機
さらに、米国メディアが注目し始めたのは、AIが引き起こす認知疲労である。
「Harvard Business Review」は、<AI活用が必ずしも負担軽減に直結せず、使い方によっては「brain fry」と呼ぶべき深い脳疲労を生む>と指摘した。
CBS Newsもこの内容を紹介し、<複数のAIツールを行き来しながら出力を比較し、修正し、再入力し続ける働き方が、判断の消耗を加速させる>と伝えている。
AIはしばしば「考える手間を減らす」と説明されるが、実際には、AIの答えを監督し続けるために別種の集中力が必要となる。人間は楽になるどころか、機械の管理者として常時待機を強いられるのである。そこにあるのは、肉体労働の疲れではなく、途切れない確認と選別による脳みその疲れである。
ビジネス誌「Fortune」が紹介した分析もまた、この傾向を裏づけている。<AI導入後、メール、チャット、業務管理ツールに費やす時間が増え、反対に深く集中して考える時間が減った>というのである。
これはかなり示唆的である。生成AIは、仕事を丸ごと消してくれる魔法の装置ではない。現実には、下書きの確認、要約の点検、指示の出し直し、共有の増加といった新しい細切れ作業を増やしうる。
結果として、人は、以前よりも速く、多く処理しているのに、仕事が終わった感覚を得にくくなる。AIは労働を削減するのではなく、労働を再配分しているだけかもしれない。そしてその再配分は、静かな熟考よりも、絶え間ない応答と監督に向かいがちである。
現実の副作用を点検する段階に
こうした一連の報道を並べてみると、米国メディアがいま問題にしているのは、「AIは便利か、不便か」という単純な二択ではないとわかる。焦点はむしろ、AIをどのような制度の中で使うのかにある。
職場がAIの導入によって静かに合理化されるのか、それとも、より多くの測定、より多くの比較、より多くの応答を従業員に強いるのか。


