国の後押しで強力な追い風が吹く研究開発型スタートアップ。だが、この領域における女性起業家は極めて少ない。20年前に医大発バイオベンチャーを立ち上げ、研究者と経営者の二刀流を貫いてきた山口葉子は、その草分け的存在だ。
「私の失敗談を書いてほしい」
開口一番、山口はこう口にした。民間企業からアカデミアに出戻り、化学・物理・医学と研究分野を転々とし、回り道をして起業するも倒産危機に直面、経営を託した相手には逃げられる......。確かに、山口のキャリアは数々の“失敗”に彩られている。しかし彼女はそれを糧にして、道なき道をこじ開けてきた。
外資系メーカーの日本支社に研究職として就職したのは、男女雇用機会均等法施行から間もない1998年。大学院で化学を修めた山口は社内初の女性研究職で、周囲は当惑し、腫れ物扱いされた。「『女性だから』と思われたくなくて、重い原料が入ったドラム缶を男性と同じように運んだりしていました」(山口)。
入社2年目にして社内で表彰されるが、同期の男性には「女だから」目立っていただけだと揶揄されるなど、悔しい思いを重ねてきた。「でも、注目されるのは逆にチャンスだと思って、どんどん挑戦することにしました。そのひとつが、東京理科大学への出向です。最初は『前例がない』と取りつく島がなかったのですが、開発には物理化学の知見が必要だと社長に直談判しました。前例がないなら、つくればいいんです」
前例なき挑戦はさらに続く。研究にのめり込んだ山口は、ドイツの大学院進学を決断。英語もドイツ語もおぼつかない状態でのスタートだったが、持ち前の愛嬌と物おじしない性格で周囲に溶け込んでいく。「“いじられキャラ”になったら勝ち(笑)」と山口。
「研究で切磋琢磨するだけでなく、一緒に飲みに行って教授の悪口を言い合ったり。バイロイト大学時代の仲間は戦友です。途中、一時帰国して出産し、3カ月後に単身ドイツに戻って博士号を取得しました。人生が大きく変わった3年間でした」
帰国後、横浜国立大学でポスドクとして物理研究に従事したが、30代半ばにして方向転換を思い立つ。
「今度は生体にかかわる研究がしたくなって(笑)。でも、医学は未経験なのでどこにも雇ってもらえない。結局、聖マリアンナ医科大学にパートの求人を見つけて潜り込みました」
同大の難病治療研究センターに、実験器具などを管理する作業員として雇われたが、研究の手伝いを志願し、研究報告会にも出席しているうちに「気づけば助教、そして准教授になっていました」(山口)。



