経営・戦略

2026.04.05 13:33

銀行が見過ごせない「企業文化の漂流」というリスク

stock.adobe.com

stock.adobe.com

マーク・クーパーは、1989年に設立された投資銀行アドバイザリーファームのリーディング企業であるソロモン・パートナーズのCEOである。

金融サービスにおいて、企業文化は「ソフトな」マネジメント要因ではない。事業のOSである。戦略、規模、収益性が重要なのは言うまでもない。だが市場が荒れ、短期的利益が長期的な妥協を誘う局面で、意思決定がどのようになされるかを決めるのは企業文化である。

それは、プレッシャー下でも組織の軸を保つための目に見えない設計図だ。しかし、この概念は広く誤解されている。とりわけ、協調性や快適な職場環境と同一視されるときに顕著である。

それでは本質を外す。企業文化とは、自分たちが何者かを知り、それに忠実であることだ。誰も見ていないときに振る舞いを規定する共有のコードである。企業の文化を好ましく思うことも、好ましく思わないこともあるだろう。だが、それが広く理解され、時間をかけて一貫して強化されているなら、計り知れない強さの源泉になり得る。

企業文化の漂流は、その共有されたビジョンが弱まるときに始まる。変化が劇的であることはほとんどない。漸進的だ。助言はいつの間にか営業トークに変わっていく。規律は自己満足へと変質する。自信は特権意識へと硬化する。

企業文化が漂流し始めるとき

例えばベアー・スターンズは、泥臭い起業家的な熱量とトレーディングの腕前によって特徴づけられていた。リターンは堅調だった。リスクテイクも規律あるものだった──そうでなくなるまでは。レバレッジは積み上がり、エクスポージャーは集中した。かつては計算されたリスクであったものが、常態化したリスクへと変わった。収益は、水面下で進行していた脆弱性を示すシグナルにはならなかった。流動性が消えたとき、建物は崩れ落ちた。

リーマン・ブラザーズは、別の形で同じパターンを示している。同社は熾烈な競争を前提とする高パフォーマンスの文化を持っていた。厳しく、ときに非情ですらあったが、自社のあり方としては真正だった。そのアイデンティティは長年にわたり有効に機能した。漂流が起きたのは、レバレッジと複雑性によって増幅された個人の野心が、組織のガードレールを上回り始めたときである。その結末は、誰もが覚えているはずだ。

革新のルーツを忘れることは、金融機関に限ったリスクではない。デジタル画像分野の先駆者であったイーストマン・コダックを考えてみよう。同社は文化を捨てたというより、誤ったバージョンのそれにしがみついた。デジタル写真、そしてスマートフォンが市場を作り替えていくなかでも、同社は高利益率のフィルム事業に対する新たなリスクを見抜けなかった。変化が否定しがたいものとなった時点で、その発明の遺産はすでにひび割れていた。コダックは2012年1月に連邦破産法の適用を申請し、その後、はるかに小規模な産業技術企業として再出発した。確かに生き残ったが、かつての勢いは失われた。

軸を失った企業文化がもたらすリスク

有能なCEOは、企業文化が係留を失うことの実存的リスクを理解している。リーダーは不断に問い続けなければならない。自分たちは何者か。何が成功をもたらしたのか。そして、自分たちを定義する中核を損なうことなく、どう成長するのか。

市場サイクルは、その規律を試す。強気相場は危険である。成功は過信を生み、ときに貪欲さを生むからだ。企業は拡大を急ぎすぎ、基準を薄め、漸進的なリスクを常態化させる。弱気相場も安全ではない。縮小は、かつて組織を差別化していた人材や能力そのものを奪い去ることがある。

戦略的M&Aは、文化リスクをさらに増幅させる。統合の主眼は、コストシナジーやオフィスの重複ではない。人である。あるコードによって形づくられた個人に、別のコードを採用するよう求めることになる。企業文化は平均化されない。結束するか、分裂するかのどちらかだ。統合を誤れば、顧客が外部から気づくより前に、内部の信頼が弱体化する。

もう1つ繰り返し現れる危険は、多くの成果を上げるプレイヤーを、組織を統治できるかどうかを評価しないままリーダー職に昇進させることだ。スーパースターであることは信頼性を与える。だが、それが自動的に判断力や忍耐、組織としての規律を付与するわけではない。

数十年にわたり信頼を複利で積み上げる

組織は、個人のフランチャイズの連合体になってはならない。基準、インセンティブ、意思決定の規範の連続性こそが、企業が数十年にわたり信頼を複利で積み上げることを可能にする。リーダーシップには、商業的な信頼性と、持続する企業を築き運営する能力の双方が求められる。その組み合わせは、一部の企業が認めたがらないほど希少である。

漂流を防ぐには、意図的なリーダーシップが必要だ。CEOは、スローガンやタウンホールミーティングによって企業文化が自走すると考えてはならない。採用、報酬、昇進のあり方の中に埋め込む必要がある。リーダーは、企業が好調に業績を上げているかどうかだけでなく、創業時の規律と整合する方法で成功しているかどうかも定期的に問うべきだ。企業文化を生きたシステムとして扱い、基準の連続性、リーダーの模範、組織の記憶を通じて強化すれば、市場サイクルの圧力に対してはるかに強靭になる。

文化の「守り手」となることを受け入れる

金融において、顧客が求めるのは単なる執行ではなく、助言である。文化的アイデンティティがほつれると、助言のトーンは微妙に変わる。より取引志向に、より攻撃的に、そして長期的関係への根差しが薄れていく。

文化の崩壊は、ゆっくりと進み、そして一気に表面化する。いったん損なわれた信頼を取り戻すには骨が折れ、元どおりになることは決してない。文化のスチュワードシップ(守り手としての責務)は、任意ではない。数十年にわたり強さを複利で積み上げる組織と、やがてほどけていく組織とを分ける違いなのである。

forbes.com 原文

タグ:

advertisement

ForbesBrandVoice

人気記事