ウォルツァーは、戦争に踏み切る決定にも、戦い方にも道徳的推論が適用されると主張する。国家には自衛や、他国の防衛支援といった正当な理由が必要だ。だがそれでも、民間人を標的にしてはならず、武力行使は脅威に見合う比例性を備えねばならないなど、戦い方には倫理的な制約がある。
より広い含意として、戦争は倫理的枠組みの内側にあるということになる。ルールは適用される。これは、適切な道徳条件の下では戦争が正当化され、場合によっては必要となる可能性さえあることを示唆する。
3. 戦争は廃絶されるべきである
これに対抗する理論は、ドイツの哲学者イマヌエル・カントに由来する。カントにとって戦争は、不可避でもなければ、十分に正当化されることもない。ゆえに廃絶されるべきだ。彼は1795年の論考『永遠平和のために(Perpetual Peace)』の中でこの主張を展開する。
カントの推論は、彼の中心的な道徳原理の1つに根ざしている。すなわち、人を決して目的達成の手段として扱ってはならないという原理だ。端的に言えば、戦争はこれに反する。兵士は道具として用いられ、民間人は巻き添え被害となる。たとえ最終的な結果が恒久的平和のように肯定的なものだったとしても、戦争は倫理的に擁護できない。
ヘラクレイトスとは異なり、カントにとって戦争は自然なものではない。戦争は、問題のある指導者と偶然の成り行きによってのみ生じるのだと彼は示唆する。「国家は個人と同様に、ただ近接しているというだけで互いに害し合う」。そして、国家間のいっそうの協力と法に基づく関係を通じて、戦争を排除しうる政治秩序が生まれうると結論づける。「自然は、正義[戦争ではない]が最高権力を得ることを欲する」のだ。
これら3つの視点は、戦争の核心にある長く続く哲学的ジレンマを浮き彫りにする。戦争は人間の本性として避けがたい側面なのか。規制されねばならない悲劇的な必然なのか。あるいは、克服可能な問題なのか。
重要なのは、これらが抽象的観念にとどまらない点である。これらは指導者が下すべき選択と、その先に生じる結果を形づくっている。


