チンパンジーにも(一応)白目はある
科学において、単純明快なストーリーは往々にして修正を迫られる。ヒトの強膜が白い理由も例外ではない。というのも、「ヒトは白い強膜をもつ唯一の霊長類である」という前提そのものについて、近年の研究から、話はそう単純ではないことがわかってきたのだ。
2025年に学術誌『Biological Reviews』に掲載された論文では、白い強膜がこれまで考えられていたよりもずっと、チンパンジーやその他の霊長類に広く見られる特徴であることが指摘された。論文著者らは、霊長類の強膜の色彩は、実際には幅広く連続的なスペクトラムの上に分布していると主張する。重要なのは、ヒトの強膜が、「協力的な眼」仮説において前提とされるような、極端な例外として存在するわけではないことだ。
加えてこの論文では、明色の強膜が、性淘汰においてもなんらかの役割を果たしている可能性が指摘された。霊長類において、強膜の色は年齢とともにくすんでいくという、顕著な傾向が見られるためだ。こうした観点から見れば、強膜の白さ、あるいは明度は、健康状態や生殖能力の指標として機能しているのかもしれない。
さらに、これらを補完する視点となるのが「自己家畜化仮説」だ。この仮説によれば、白い強膜は、ヒトの進化の過程で攻撃性を抑える方向に選択圧がはたらいた結果、副産物として出現した可能性がある。すなわち、ヒトが刺激への反応性を下げ、社会的寛容性を上げるなかで、神経堤細胞に変化が生じ、これにより、強膜を含む全身のさまざまな部位で局所的な色素減少が起こったという考え方だ。
このような変化は、ほかの哺乳類でも起こったことが知られている。家畜動物においては、ヒトがおとなしさを基準に人為淘汰をかけたことで、一貫して特定の関連形質群が出現した。例えば、以下のようなものだ。
・垂れ耳
・巻き尾
・幼形的な顔の特徴
・色素の減少
これらの変化はいずれも、神経堤細胞の発達パターンに生じた変化に起因する。胚細胞の一種である神経堤細胞は、のちに分化して、色素を生成するメラノサイトや、ストレスに反応する副腎組織になるためだ。神経堤細胞の減少は、攻撃的反応の減少につながるだけでなく、副産物として、強膜におけるメラニン生成量の減少にもつながるのだ。
この観点からは、ヒトの白目は、そもそも自然選択の主たる対象ですらない。むしろ、ヒトに白目があるのは、ヒトがお互いに寛容になったことの副次的な結果にすぎないということになる。
強膜は、「心の眼」に通じる窓
強膜の白さをめぐる議論の実に興味深いところは、それぞれの主張や仮説の表面的な印象とは異なり、これが本質的には、感覚器官としてのヒトの眼の話ではないことだ。議論の本質はむしろ、社会的な種において眼がどんな役割を果たし得るかであり、その延長上に、注意の対象を他者がはっきりと判別できるとき、進化は何をもたらすのかという問いがある。
新生児は、生まれつき視線を追うことができる。ヒトは、コンマ数秒で視線を検出できる。私たちはアイコンタクトによって、言語学習を調整し、共同作業を同期させ、信頼を伝える。協力によって文明を築いた種にとって、自分の注意の状態を、正確かつ低コストに周囲の他者に伝える能力は、おそらく最も実りの多い進化的イノベーションの一つだったのだろう。
そんなわけで、次に誰かから「目を見て話して」と言われたら、進化の歴史のなかで結ばれた盟約の履行を求められているのだと考えよう。私たちはみな、相手の眼を見てその心を読み、自分の眼を見られて心を読まれる種の一員なのだ。


