映画

2026.03.28 14:15

信仰と世俗に分裂した家族の悲劇|「聖なるイチジクの種」

テヘラン(Borna_Mir - stock.adobe.com)

この途中で、拳銃を隠したのがサナだったことをレズワンだけは知るのだが、妻と娘を閉じ込めて答えを迫るイマンに、ナジメとレズワンはそれぞれが罪を被ろうとする。この状況に耐えられず、嘘をついてその場を収めようとする点において、ナジメとレズワンは生活保守/反体制派と立場は違えど、父と同じく欺瞞の横行する社会に取り込まれた側と言わねばならない。

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こうした中、当のサナは一切自白せず、逆に父をますます追い詰めるような知略に富んだ行動すら取っていく。遡ると前半部からサナは、最初に異変に気づく者として描かれていた。父の脱いだ服の間に拳銃が置かれていたランドリースペースの前を通った何者かはおそらくサナだし、大学での警察による暴行をSNSの動画で見てレズワンに報告するのも、イマンの個人情報がネットに出てしまったのを見つけるのもサナだ。

そして最後のセリフでわかるように、彼女がもっとも注視していたのは、すべてを決定する権力者である父と父に従いケアする役割の母の、サナから見れば歪な関係だった。拳銃はまさに父がその末端に連なる権力=暴力そのものだから、サナはそれを衝動的に父から取り上げたのだ。その先がどうなるかまでは、その時の彼女自身にはわからなかっただろうが、どれだけ家庭内の緊張が高まっても自白しなかったのは、自分の行為が正しいと確信を強めていったからだろう。

ナジメはイマンから拳銃を見せられた時に、昇進の副産物として受容した。レズワンがもし知れば、騒ぎ立てて親子喧嘩に発展していただろう。前者は権力に抵抗せず実利を取る者、後者は報われない抵抗をする者だ。一番若く弱い立場にあるサナを、どちらでもない者、言うなれば”クーデターを決行する者”として描いている点が秀逸である。冒頭にある、鳥の糞で運ばれたイチジクの種が、成長して宿主の木を締め付け枯らし自立するという挿話、そこから取られたタイトル「聖なるイチジクの種」は、まさにサナのような、誰も注目していなかった思いがけない反乱者を指している。

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拳銃の紛失が発覚した場合の、父だけでなく家族全員が陥るだろう経済的社会的苦境を想像し、そこで自己保身のために思い止まったり、早々に盗みを白状することが、純粋な彼女にはできなかった。結果としてイマンは、反乱者サナの思惑をも越えて古い地層ごと文字通り”埋葬”されるが、これを「イランの現体制が招いた家族の悲劇」とだけ解釈するのは不十分だ。

サナは、父イマンが生活のために押し潰そうとしている誠実さの象徴である。持っていたはずのそれをどこかに置き忘れた”罪”で、イマンはサナを通して神から罰せられたのだ。あまりにも素朴かつストレートに父に突きつけられた娘の「否」は、権力への反撃としてのみならず、父自身の信仰への裏切りをも断罪するものとして捉えるべきだろう。

文=大野左紀子

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