忽然と消えてしまった銃、そのことがもたらすだろう社会的信用の失墜や仕事を失う不安に恐慌状態となったイマンが、家族を疑い始め、犯人探しの中で徐々に常軌を逸した行動を取っていくさまが緊迫したムードで描かれる。
そもそもイマンは、抵抗する市民の恨みを買う仕事ゆえに渡された護身用の銃を、洗濯物の間に置き忘れるほどぞんざいに扱っていた。用心深い人なら家族にも秘密にしておくだろう仕事のことも、レストランでの食事で娘たちに正直に語っている。
つまりイマンは国家機構の中で重要な任務を負わされているわりには、少々脇が甘いのだ。それは彼が元々は強い権力志向を持たない、勤勉だが平凡な男だったからだろう。むしろその真面目さ、凡庸さによって、自らの最大の危機に際し極端な行動へと追い詰められていったとも言える。
同僚ガデリから尋問官アレリザに家族に会わせろというアドバイスを受け、妻や娘たちが目隠し状態で尋問を受ける一連の場面は、警察から嫌疑をかけられた者が密室で誘導尋問される状況と同じだ。アレリザの妻とナジメは友人同士だが、突然そこに一方的な権力関係が持ち込まれ、親密だった一人ひとりが分断される残酷さが冷え冷えと伝わってくる。
夫と娘たちの間で分裂状態になってしまったナジメは、「パパが心労で倒れたらあなたたちのせい」と非難する一方、当初尋問には反対して「今後娘たちは誰を信じるの」とイマンに問い、尋問の中では娘たちをかばうものの、帰宅してから問い詰められたレズワンが「知らない」と言い張ると、その頬を打ち取り乱す。
疲れ切ったイマンにナジメが告げる「変わったのよ、子どもも世界も」という世俗に迎合する諦めの言葉は、イマンの「神は変わっていない」という信仰の言葉とすれ違う。親子間の世代差ゆえの亀裂だけでなく、強い絆で結ばれていたはずの夫婦間の価値観の相違までもが、疑心暗鬼の中で顕になっていくのだ。
高まる抵抗運動に身の危険を感じ、家族を故郷へ避難させる旅に連れ出したところから、追い詰められたイマンの行動が異常性を帯びてくる。スマホをかざしてつきまとう抵抗派の市民との危険なカーチェイス、妻や娘への有無を言わさぬ強硬な態度、そして最後の『シャイニング』を彷彿とさせる廃墟での執拗な追跡など、前半は穏やかだった父の暴力性が剥き出しになるにつれて、彼らの関係は皮肉にも、国家権力と弾圧される民衆の関係に相似していく。


