アート

2026.03.31 12:15

「内なる衝動」を解き放て━━BCGコンサルタントの私が東京藝大で辿り着いた全人格経営の核心

筆者が制作した『「私」を生きるための顔面装飾具』(撮影:Yu Uchikura)

筆者が制作した『「私」を生きるための顔面装飾具』(撮影:Yu Uchikura)

前回記事では、世界で高く評価される日本画家、長谷川幾与さんへのインタビューを通して、変化の激しい時代、リーダーが「ブレない軸」をもつことの重要性が浮き彫りになりました。

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アートと経営戦略、一見、対極にある二つの世界を往復する中で得たのは、外部環境が不確実であるほど、意思決定の拠り所となるのは、他者からの評価や短期的なKPIなどの外的基準ではなく、自身にとって何が大切かという、内的な「私」の基準なのだという気付きでした。

今、世界の企業では「全人格的な経営」を掲げ、従業員を単なる「労働力」ではなく「ひとりの人間」として扱い、個人の価値観やウェルビーイング、持続可能性までを追求し始めています。それは、効率の追求によって経営から削ぎ落とされてきた、働く人の「私」という輪郭を、再び組織に取り戻そうとする切実な動きとも捉えられます。

私は今、ボストン コンサルティング グループ(BCG)で経営コンサルタントとして働きながら、東京藝術大学大学院の博士課程で学んでいます。本稿では、藝大というある種、異質な場での実践を通して確信した、ビジネスで真の自己をもつことの有効性と、それによって行う「芸術行為としての仕事」が経営や組織の文化にもたらすインパクトについてお伝えします。

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東京藝術大学博士審査展2025での展示の様子(撮影:Max Fischer)
東京藝術大学博士審査展2025での展示の様子(撮影:Max Fischer)

「誰か」のためになるほど、消えゆく「私」

私は新卒でBCGに入社し、大手IT企業や金融機関の事業戦略策定や組織開発などを担当した後、イノベーションデザインを学ぶため、英国のロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)へ2年間留学しました。

RCAは、複雑な問題に対しても具体的かつ実行可能な解決策を提示するプロフェッショナルが集う場所で、そこでの学びは刺激的なものでした。しかし、社会的な意義を追求し、ユーザーの痛みに深く寄り添うほど、私の中に無視できない感情が芽生え始めました。

デザインは本質的に誰かの課題を解決する手段であり、そのために利他的な視点を持つことは、不可欠な倫理です。しかし、他者のニーズや社会的な大義のために自分や作品を最適化しようとすればするほど、自身の内面から湧き上がる「理由なき衝動」が、そっと脇に追いやられていくような感覚を抱くようになったのです。

「How might we」(私たちはどうすれば社会を良くできるか)━━この問いにより深く向き合うためには、一度「I」(私は何を表現したいのか)、すなわち自己の原点に立ち返る必要がある。そう考えた私は帰国後、東京藝術大学大学院の博士課程へと進む決意をしました。

経営コンサルタントが、芸術の博士号を取得して何になるのか。端から見ればそれは、私がキャリアを築く上で合理的な選択には映らなかったと思います。「本当に必要なのか」と自分に幾度となく問い直しましたが、いったん立ち止まってこの問いに向き合わなければ、ずっとモヤモヤを抱えて生き続ける気がしました。

そうして、コンサルタントと藝大生を両立する生活が始まりました。

真の芸術は「逸脱する」状態に宿る

藝大での日々は、ビジネスの論理が通用しない非合理の洗礼から始まりました。入学して早々、指導教員で美術家の西尾美也氏から投げかけられた言葉は、私がアートを学ぶ根源的な動機を問うものでした。

「『純粋』で『切実』な行為や表現が『逸脱』した存在となった時、私たちはそこに『芸術』としか言いようのない美しさを感じる」――西尾氏はアーティストで同じ東京藝術大学の教授である中村政人氏の言葉を引用し、「あなたの中にその『切実さ』はあるのか?」と問いかけました。

当時の私は、この問いに沈黙するしかありませんでした。問いが鋭かったからではなく、自分が長いあいだ、その問いを避けてきたことに気づいてしまったからです。

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文=平岡美由紀

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