ビジネスの世界で私たちは、常に何らかの枠組みに「適応」し、期待に応えることで、自らの価値を証明しようとします。しかし、芸術の本質はその真逆です。自らの内面にある純粋な衝動が枠組みを突き破り、結果として「逸脱」してしまう。その瞬間の状態こそが芸術なのだ、というのです。
つまり芸術とは、美術館に飾られている「モノ」のことだけではない。もし働く人々が自らの哲学に基づき、市場の予測や周囲の期待を超えてでも実行したい「切実な一手」を打つとき、その意思決定はもはや一種の「芸術行為」になります。
現代美術家のヨーゼフ・ボイスは「すべての人間は芸術家である」と説き、社会そのものを、人間全員で作り上げる巨大な彫刻と見なす「社会彫刻」の概念を提唱しました。誰もが自らの創造的な仕事を通じて、その概念を実践できるのです。
非合理の極みで叶えた「ふたつの自己」の和解
そうした学びと思索の日々を経て、博士審査展で取り組んだ制作が『「私」を生きるための顔面装飾具』でした。「私」を表現する装飾具を作っていくのです。それは、それまでのキャリアにおいて、最も「非合理的」な行為でした。
制作過程では、自分の顔を3Dスキャンしたデータにモデリングで凹凸を加え、3Dプリンターで出力。それを身にまとって街を歩くことも。

仕事終わりの夜中にひとり、素材と格闘しながら制作に取り組んでいると、ビジネスパーソンとしての冷めた自分が「こんなものを作って何になるのか」とつぶやきます。しかし一方で、「これを作らなければならない」という思いが私を突き動かします。
完成した装飾具を手にしたときには、それを身につけて外に出る自分の姿を想像し、何度もやめようと思いました。それでもやってみる。ただの不審者にしか見えない風貌は、当然ながら、好奇の目に晒されました。しかし、自分や社会の常識から「逸脱」したその行為は皮肉にも、社会的な役割という殻に隠れていた、代替不可能な「私」の輪郭を鮮明に浮かび上がらせてくれました。
当初は、顔のすべてを覆い隠す「面」を作ろうとしていました。しかし、実際に面で顔を覆ってみたとき、それはコンサルタントとしての自分を否定することだと気づきました。経営コンサルタントとしての自己と、表現者としての真の自己(オーセンティシティ)、両方とも認めたい。素顔が見えるように設計を変更した作品は、それらを和解させる私なりの形でした。
社会の中で「私」という主観だけで生きることは、独りよがりに陥る危うさを孕みます。一方で、「役割」に終始することもまた、個人の生命力を弱めかねません。大事なのは、社会的な役割の上に、自分だけの切実な想いを重ね合わせて生きることです 。
それは、効率や一般的に正解とされる枠組みからあえて逸脱する、個人の「偏愛」の提示です。 合理的なロジックに「個人の色」を接続することで、仕事は事務処理から、他者を動かす「芸術行為」へと昇華されます。



