プエルトリコ出身の親友が週末の朝、よく母親に「エル・ティエンポ・エス・オロ!(時は金なり!)」と手を叩きながら起こされていたと知って嬉しくなった私は悪い人間だろうか。このエピソードは、私の母の「さあ起きて、元気いっぱい全力で頑張ろう!」という鼓舞を思い出させる。どうやら1970年代の母親たちは、子どものやる気を促す一番いい方法は、大きな声で時間の大切さを説くことだと教えられていたようだ。
もちろん、母親たちは正しかった。時は金なりだ。時間は増やすことのできないリソースだ。私たちは自分に与えられた時間を意図を持って使うことしかできない。
だからこそ、経営者たちが自社の会議は「まあまあだ」と言うのを聞くと、私は本当に胸が痛む。「まあまあ」は実際には良い状態ではない。
「まあまあ」な休暇に行きたいと思うだろうか。「まあまあ」な仕事を受け入れたいと思うだろうか。「まあまあ」な人を人生のパートナーにしたいと思うだろうか。
そうは思わないはずだ。私は絶対にそうしないし、どうでもいい会議に自分の貴重な時間を浪費することにも我慢できない。「まあまあ」な会議は、たいてい明確な目的や目標もなく始まり、脱線を繰り返しながら進み、結局はすぐに忘れられる次のステップで終わるか、あるいはまた別の会議を設定して終わる。
これは誇張に聞こえるかもしれないが、自分のカレンダーを確認してみてほしい。今後予定されている会議のうち、会議通知の概要欄に明確な目的が書かれているものはいくつあるだろうか。参加した会議について明確でタイムリーなまとめを最後に受け取ったのはいつだろうか。会議の冒頭、前回何が決まったのか思い出そうと時間を費やすことはどれくらいあるだろうか。
職場では、本当に重要なことをする時間はいつも足りないと感じているにもかかわらず、私たちは時間を無限にあるもの、自分ではコントロールできないもののように扱っている。従業員は月に31時間を非生産的な会議に費やしている。私たちは延々と続く進捗報告の会議に出席し、自分が上司に報告する3分間を待っている。事前資料を読まず、自分の役割も確認しないまま戦略会議に出る。遅れて来て、早く退席し、ほとんど何も達成しない。会議の大半が平凡な成果しか生まないのであれば、それは膨大な時間の無駄遣いだ。
私たちは従業員の頭脳を最大限に活かすための考え方や行動への移行が十分にできないまま知識経済へと移行した。リーダーとして私たちはチームにあらゆるツールを与えているが、最大の効果を上げるためのそれらの活用方法は教えていない。
移行は会議から始まる。会議は互いに「良い状態とはどのようなものか」を実証し合う場だ。そして断言するが、「良い」とは、興味を示さないままマルチタスクをしたり、半分聞き流したりする状態のことではない。平凡な会議から生まれた画期的な成果を見たい。
こうしたことから、次にだらだらと続く会議に出席しているときは、ただ耐えるのではなく、指摘してみてはどうだろうか。誰かを責める必要はない。自分たちが何を達成しようとしているのかを確認するよう求めたり、全員が関与できる新しい方法を提案したりすればいい。ノートパソコンを閉じて、完全に集中する姿勢を示す。会議が終わる前に次のステップを再確認し、コミットメントを取り付け、誰かに議事録を共有することを、その場で確定させる。会議に時間を割くなら、有意義なものにすべきだ。そして「まあまあ」で満足するのはやめよう。時は金なりだ。



