バブル崩壊、リーマンショックを超えて
藤吉:バブルのピークが1989年12月末ですから、崩壊の直前というタイミングですね。
阿部:おっしゃるとおり、1990年の年明けから日経平均は暴落していきます。ただ、そのなかで中小型株はすごく上がったんです。なぜかというと主要な株は軒並み下がっているので、行き場をなくした資金が中小型株に流れ込んだんですね。そのおかげで創業1年で1000億近いお金が集まった。中東の投資機関の人たちにも"You have a Midas Touch(お前は「ミダス王の手」の持ち主)だ"って感謝されてね。
藤吉:ギリシャ神話に出てくる、触るものすべて黄金に変わるミダス王のことですね。
阿部:当時は何のことかわからなかったけどね(笑)。その後は中小型株も下がっていくんですが、それでも業績はずっと黒字をキープして2001年には独立系投資運用会社としては日本で初めて上場も果たしました。ところが09年にリーマンショックが直撃して、初めて赤字になるんです。ウチは日本株メインでやっていたので、周囲は「スパークスは潰れた」と思ったと思います。
藤吉:阿部さんはどうだったんですか?
阿部:僕はつぶれるとは思ってなかった。財務的に強かったのでね。ただお先は真っ暗ですよ。でも、実は新たな収益の柱を既に模索していて、05年ごろから、韓国や香港の投資運用会社を買収し、アジア進出という構想は動き出してはいたんです。リーマンショックではアジア株も暴落したのですが、それでもアジアが今後日本よりも遥かに成長性の高いマーケットであることは確かだったので、そこに投資していこうということになったんです。
藤吉:これが2つめの柱「One Asia」ですね。2026年1月末の開示情報では運用資産残高2538億円となっていて、しかも前年同期の2倍というのは、すごい伸び率ですね。
阿部:ただ当時はリーマンショックの影響はやっぱり大きくて会社としては5年間に4度の赤字を出したんです。それでこれは会社の規模を縮小するしかないと、当時300人ぐらい社員がいたのを希望退職を募って、かなり辞めてもらいました。このときは辛かったですね。僕自身も報酬ゼロにしましたし、残ってくれた社員にも大きな負担をかけた。


