日本株から「四つの柱」へ──スパークスの事業拡張戦略

1989年、日本株運用を掲げて創業したスパークスは、その後アジア株、再生可能エネルギー、ベンチャー投資など、多様な資産に投資する独立系投資運用会社へと進化している。その「四つの柱」は最初からあった構想ではない。危機と試行錯誤のなかで、一つずつ形づくられていったものだった。


バリュー投資を日本株で実践する

藤吉:本日は、日本の独立系投資運用会社の草分けであるスパークスが、創業以来どのように事業領域を広げてきたのか、会社経営の観点からうかがいたいと思います。まず、現在スパークスが掲げている「日本株式」「One Asia」「実物資産」「プライベートエクイティ」という四つの柱は、創業当初からあった構想なんでしょうか。

阿部:いや、創業時は日本株だけですね。

藤吉:そもそも阿部さんがジョージ・ソロスのもとで日本株を運用するファンドマネージャーを3年務められた後、帰国して「スパークス投資顧問株式会社」を創業されたのが1989年7月ですね。

阿部:そうです。ちょうど僕がアメリカにいたころ、KKRやブラックストーンのような独立系運用会社が登場し始めたんですよね。大きな年金を運用することがステイタスというような従来の投資運用会社と違って、彼らは自由な発想で投資する起業家集団のようなイメージでした。それがどんどん成長していくのを目の当たりにしていたので、日本にもそういう投資運用会社が必要とされる時代が来ると考えたんです。それで「世界で最も信頼されるインベストメントカンパニーになる」という目標を掲げて創業しました。

藤吉:それで、まずは日本株に投資しよう、と。

阿部:そうですね。アメリカで学んだ「バリュー投資」(企業の本質的価値よりも株価が安い企業を見つけて投資する手法)を日本株で実践してみるというのが僕のアイデアでした。当時、日本ではバリュー投資がそこまで浸透してなかったんです。さらに投資対象を大企業ではなくて、上場している中小型に絞りました。海外の大きな機関投資家で日本株を買っている人たちは、そういう中小型株に関する情報は持っていないので、「僕が替わりに大きな成長が見込める中小企業を調査して、提案しますよ」というビジネスを考えたんです。それで最初に行ったのが中東の政府の金融機関でした。

藤吉:とくにコネクションもなく、いわば"飛び込み”のような状態ですよね?

阿部:そうそう。今でも、自分で作った資料を10冊ぐらい抱えて成田に行くタクシーに乗り込んだのを覚えています。で、その国の大蔵省を訪ねていったら、担当者が会ってくれたんですよね。結局3回ぐらい通って話を聞いてもらったんです。3回目の訪問から帰国したら〝お前に日本株の運用を任せたい。ついては200億円振り込むから銀行口座を教えろ〟というFAXが届いていたのが1989年の10月ごろだったと思います。

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text by Hidenori Ito

連載

市場の波に乗る12の視点 スパークス代表・阿部修平×Forbes JAPAN 編集長・藤吉雅春

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