働き方

2026.03.20 08:27

なぜ「責任の共有」が職場の平等を実現する唯一の道なのか

AdobeStock

AdobeStock

近ごろ、仕事、権力、進歩をめぐる会話は、綱引きのように語られがちだ。男性が取り残され、女性が台頭し、誰かが負けなければならない──。だが、その枠組みは誤っている。そして、それが私たちの足を引っ張っている。いま問われているのは男性の問題でも、女性の問題でもない。責任の共有の問題である。

『Notes on Being a Man』を含む最近の著作で、スコット・ギャロウェイは、現実に存在し、増大しつつある緊張感に言葉を与えている。多くの男性は、期待の変化よりも速く変わったシステムのなかで、目的、安定、帰属意識から切り離された感覚を抱いている。しかし最も重要な示唆は、男らしさそのものについてではない。機会が進化する一方で責任が進化しないとき、何が起きるのか、という点にある。

何十年もの間、仕事と生活は単一のモデルを前提に築かれてきた。主たる稼ぎ手は1人。主たるケア提供者も1人。成功の定義は1つ。リードの仕方も1つ。だが、そのモデルはもはや現実を映していない。

女性は大規模に労働市場へ参入した。それは当然の流れである。経済参加は広がり、リーダーシップの顔ぶれも多様化した。だが、土台となる構造は大部分がそのままだった。ケアの担い手は十分に再配分されず、感情労働も十分に分かち合われなかった。職場は「参加」には責任のあり方を変えるよりも速く適応したのである。

その結果が、私たちがいま直面している状況だ。性別を問わない燃え尽き、家庭での摩擦、職場での圧力。そして、誰もが以前より多くを背負っているのに、十分に支えられていると感じられない──そんな感覚が広がっている。

だからこそ、進歩を「男性対女性」で捉えるのは本質を見誤っている。本当の問題は、現代の生活に見合うように責任が再設計されていないことにある。責任の共有は、すべてを変える。ケアが共有されれば、キャリアはより持続可能になる。家事労働が共有されれば、パートナーシップは強くなる。リーダーの説明責任が共有されれば、組織の成果は高まる。

これは理念の話ではない。システムの仕組みそのものだ。従業員像を単一のアーキタイプで想定する企業は人材を失う。実際の生活を前提に設計する企業は人材を維持する。柔軟性、ケア、説明責任が仕事の進め方のなかに組み込まれていれば、男性にも女性にも、最高のレベルで貢献する余地が生まれる。

男性は、成功の定義を1つに押し込められないことで恩恵を受ける。女性は、見えない「第2のシフト」を1人で抱え込まなくなることで恩恵を受ける。そして組織は、人々が成果と「そこにいること」のどちらかを選ぶことを強いられなくなることで恩恵を受ける。

ここで最も重要になるのがリーダーシップだ。現代のリーダーシップは、誰が権力を持つかではない。権力と責任がどう配分されるかである。リーダーが職場でも家庭でも責任の共有を体現するとき、貢献は集合的で成功は相互的だという文化が当たり前になる。平等とは、ある集団から別の集団へ優位性を移すことでは決してなかった。人々がいま実際にどう生きているのかを反映するように、システムを再設計することなのである。進歩はゼロサムゲームではない。

責任の共有は、野心を薄めない。野心を増幅する。リーダーシップの未来は男性的でも女性的でもない。協働的である。そして責任が共有されれば、圧力は和らぎ、パフォーマンスは向上し、誰もが前進する。それこそが、解くに値する方程式である。

forbes.com 原文

タグ:

advertisement

ForbesBrandVoice

人気記事