トルコでも大役を経験した。丸紅として初の独立系発電事業の投資・運営案件で、直属の上司は「大本にはまだ無理」と反対したが、部長は「未熟だからアブソーブ(吸収)できる」と送り出してくれた。若手には荷が重い現場だったが、大本は期待に見事応えて帰国した。
厳しい環境が成長につながることを確信した大本は、次の環境を自身で設定する。ハーバードビジネススクール(以下HBS)への留学だ。
「1日12時間勉強して準備しても、クラスで発言できない“タコの日”があります。支えになったのは、HBS卒業生である名和高司さんの『今日はすでに過去のこと』という言葉。タコの日はこの言葉を言い聞かせてまた机に向かいました」
その後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに転職。分析力に磨きをかけた後、「やはり実践の場が欲しい」と丸紅に戻ってきた。
出戻り後は、自分よりチームや組織を鼓舞することに関心が移ったが、その難しさを痛感したのは、19年に次世代事業開発本部長として医薬品販売事業を立ち上げたときだった。スタートした途端にコロナ禍が発生して20億〜30億円の損失が発生。社内から「次世代事業から撤退すべき」と声が上がり、チーム内でも、既存事業への思いから道を分かったメンバーもいた。
「伸びる市場で高付加価値の商品を内包化し、地域展開すれば収益は上がる。最初は私のなかでその勝ち筋を整理しきれていなかった。3年目あたりで整理がつき、具体的な案件がいくつか動いたことで、みんなに希望を見せられるようになった。今では収益190億円の事業になっています」
トップ就任時、言葉で社員を鼓舞するだけでなく、戦略プラットフォーム型事業への経営資源集中という戦略を提示したのは、このときの苦い経験があったからだろう。
丸紅を率いて約9カ月。市場の追い風もあり、時価総額は1月に8兆円に達した。ストレッチだったはずの目標は早くも射程圏だ。しかし、大本は落ち着いた口調でこう話した。
「私のミッションは中長期的に企業価値を上げること。直近の株価に一喜一憂しても意味がありません。そもそも10兆円はゴールではなく通過点。越えたらまたその先を目指すだけです」
おおもと・まさゆき◎1969年、愛媛県生まれ。92年早稲田大学卒業後、丸紅入社。電力本部にて海外発電所の立ち上げに携わる。2006年マッキンゼー・アンド・カンパニーへ入社。07年に丸紅へ戻り、19年に次世代事業開発本部初代本部長、22年にCDIOなどを歴任し、25年より現職。


