他に僕たちが行なった講演の一つでは、アートと研究の議論を横断しながら「AIの/AIとの時間~能・発酵・VR」というタイトルで講演を行なった(このタイトル自体、公案的ですらある)。
議論の内容はタイトル通り複雑でハイコンテクストであり、案の定、この後に感想を求めても誰も手をあげなかった。その場ですぐに議論を求めても困難だっただろう。しかしその後、40人ほどの参加者から、30枚近い連歌カードが出され、参加者の間で繰り返し回され続けている。
実験の終了までにはもう少し時間がかかるが、アートと研究を横断する問いかけが、数カ月をかけて少しずつ解きほぐされ、発酵している。その泡の音が聞こえてくるような気がするのである。
時間をかけたことによる思考の変化の価値は今後検証していく予定であるが、このような仕組みのデザインによる、企業内での実感あるGenerative Questioningは、アートと研究の掛け合わせによるダイナミックな問いかけをより企業や社会のなかに馴染ませ、同時に広く発展させていくことにも繋がるだろう。
9. 非線形な創造的発想へ
様々な問題解決や研究ですら、AIが可能になってきている現代において、我々が育てるべきは、問いを立てる能力だけでなく、問いを連鎖させていく力、すなわち他者の問いを引き受け、新たな問いに展開し、それをまた響かせ合い、新しい理解を獲得していく能力である。アートと研究は似たもの同士、互いに手を取り合うことを通して、社会のなかで交差し、価値を発揮していくことができると思うのである。
Generative Questioningは、すでにあるサービスや製品を起点に、その価値を再発見したいときにも有効である。企業の風土や価値に対して、見方が硬直的な時、それをひっくり返していくことにも活用できる。いわば企業の「天地返し」にも有効なのである。
「問い」とは、身体的なものだ。気持ち悪さ、ふと感じること、時代に対する嫌悪。そういうものが問いの起点にある。だからこそ論理だけでは接続できない。共有も難しく、そのままでは容易に連鎖しない。そこにアートと表現の介入の可能性がある。言葉を超えた共有や共感は、その問いの本質を一瞬で体感させてくれる。
一方、それだけでは集団の問いにはならない。そこには研究的な思考方法と体系化が必要になる。僕たちは一体何を感じ取ったのか。それらを言語化し、接続し、体系化する。そうして問いは初めて発酵する。
アートと研究の往復による問いの連鎖を通して、周囲と繋がれずにいた個人的な問いの数々は、新しい理解への糧となれる。そこに、問いの連鎖生成の本当の可能性がある。



