2. 「視点の創造」としてのアートと研究
アートと研究は、実はとても近い。
研究とは「視点の創造」である。正しい物事を詳らかにするというよりも、新しい概念モデルや数式のようなツールを開発し、こんな位置からこんな風に世界を見ると、世界は見通しが良くて面白いよ、と世界に新しい展望台を提供する。それが研究の仕事である。
様々な実験や検証を通して、その展望台の頑強さを確かめはする。でもやっぱり本質はその創造的・発見的な行為の楽しさにある。数学であっても物理であってもそれは変わらない。
アートもまた視点の創造である。すでにアート史のなかで用意された問いや社会の問題に対して、自分なりの視点を作品として用意し、社会に提示する。その意味で研究とアートという行為は、本質的に似ている。
3. 「内面の移動も移動とみなす」というリフレームと研究
一方で研究はどちらかといえば対象の分析や体系化に向かい、アートやクリエイションは新しい対象そのものを生み出すことへ向かう。その両輪こそが重要である。
僕がそのことを強く実感するようになったのは、モビリティカンパニーであるDENSOが行ってきた「モビリティゼロ(Mobility Zero)」という活動を通してである。モビリティゼロは、もともと「移動がゼロになった社会を考える」という挑戦的な問題意識のもと、東京大学とDENSOにより設置されていた社会連携講座(大型の共同研究プロジェクト)である。僕はその講座に、東大側の研究員として参加していた。
このプロジェクトでは「モビリティゼロ」という上段の問いに対し、様々な角度から哲学的な問いが加えられ続けた。特に「内面の移動も移動とみなす」という視点が僕には新鮮だった。物理的に別の地点へ行かずとも、意識や心の動きによって実質的な移動の実現は可能である。あるいはVRによって、物理的に動かずとも別の現実へ移動できる。
こうした問いの設定のもと、プロジェクトにはVRの大家である廣瀬通孝先生が参加していた。建築とVR・MRの領域を横断する活動をしていたことから、僕は廣瀬先生のもとで働くこととなった。
幅広い“移動”の枠組みと、そこから見える新しい都市のあり方の可能性。大学と企業の共創のなかで、AIエージェントによる社会創発の実験やVRを用いたシステムの構想などを通して、僕らは新しい移動を起点とする社会の豊かさを模索した。
【注】「モビリティゼロ」という言葉には、「移動がゼロになった社会を考える」という挑戦的な問題設定と「モビリティをゼロから考える」という枠組みの設定の二つの意味が存在した。対外的広報等では後者が用いられたが、研究の内容としては前者の意識が重視された。


