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アート

2026.07.16 09:45

企業の思考が「発酵」する アート×研究の「問いの連鎖生成」とは

撮影の際の像制作の仕組みを展示。手前にあるのが分層ガラス

撮影の際の像制作の仕組みを展示。手前にあるのが分層ガラス

アートとは「問い」であるとよく言われる。しかし重要なのは問いそのものではなくて、問い続けることなのではないか。

子供が「なんで? なんで?」と問い続けることを通して対象を理解していくように、問いの連鎖を通して、対象の深い理解が醸成されていく。理解は問題→答えといった線形なものでなく、問い→問い→問いの連続のなかで、ふっと対象の輪郭が浮かび上がる、非線形なものなのである。

アートと研究という2種類の「視点の創造」のあり方を、企業や社会のコンテクストと混ぜ合わせることで、問いが連鎖生成し、何らかの主題の輪郭が明らかになっていく。このような形でのアートと研究の相乗的な活用の考え方を「Generative Questioning(問いの連鎖生成)」と呼びたい。

これはアートと研究のあいだを行き来する経験のなかで、浮かび上がるようにして見えてきたアートの価値と可能性である。

1. アートにがっかりするような気持ちと見えてきた可能性

僕はこれまで、建築や都市と、VR・MRなどのテクノロジーの関係を主題として活動してきた。

研究者としては博士号を取得し、研究職にもついた。クリエイターとしては企業共創やデザインの仕事、東京都現代美術館やサンパウロでの展示、経産省事業へのアーティストとしての採択などに恵まれた。アカデミアやデザイン、企業共創、テクノロジーといった幅広い領域を横断しながら、自然とアートの世界にも近づいていったのである。

ところが、アートに近づけば近づくほど、アートに取り組む意味は、むしろよくわからなくなっていった。

東京都現代美術館MOT アニュアルExtraでの3作品の出展
東京都現代美術館MOT アニュアルExtraでの3作品の出展

アートを見ることは今もなおとても面白い。しかし、なぜアート製作に取り組む価値があるのか。アートの領分に近づくにつれ、そのことがよくわからなくなってきたのである。

何より、作品世界が自己完結しすぎている。デザインのように問題解決をするわけでも、建築のように社会の営みの器となるわけでもない。研究のように社会的資本としての知を蓄積するのでもない。多くの場合、作品には作家の個人世界が表出し、それが社会をどうよくできるのかはわからない。眺める分には興味深いが、自身の内面世界や閉じた世界観をカタチにして美術館に展示したい、とは僕には思えなかった。

アートを取り入れたい企業の気持ちもわかるし、がっかりして離れていく人の気持ちもわかる。流石にアートと自分たちの仕事は繋がらないだろう、と感じる人の気持ちもわかる。僕もその期待と実情との乖離を感じてきたからである。

しかし、そうした葛藤を抱えながら研究やビジネス、デザイン、テクノロジー、そしてアートといった複数の世界をたゆたうなかで、“アート”というこの不思議な行為が、多様な領域が相互に連結した現代社会のなかでどのような具体的価値を持てるのか、僕なりに朧げに掴めてきた。

次ページ > 「視点の創造」としてのアートと研究

文=石田康平

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