守るために変える、家業の「真価」を問い直す挑戦
培ってきた事業の強みや市場変化、社員の心情━━、アトツギがその時々で会社にとって本当に大切なものを見極め、どのくらい先代の経営方法を守り、変えていくのか。議題が事業継承の成否を左右する「変革」に移ると、田村氏と大森氏は、それぞれの立場から持論を展開した。
中でも田村氏が身を置く伝統工芸の世界では、技法や美意識、産地などを守りつつ、販売方法や価格などを時代に合わせて変えていかなければならない。文化的整合性と経済合理性のバランスが難点となる。
田村氏は七宝の歴史を振り返り、こう答えた。「戦時中には、当時の窯元が金属没収令をかいくぐり、道具と材料を土中に隠したと聞いています。先人たちが紡いできた過去の上に、私たちの今がある。私はそれを次世代にいい形でつないでいきたい」(田村氏)
田村氏はそのための変革を実施してきた。かつて七宝の窯元には、同業者に盗まれないよう技術を隠す習わしがあったが、担い手の減少を招く要因のひとつとなった。田村氏はそれを捨て、さまざまな窯元から話を聞き、積極的に技術について発信する方向に舵を切った。
価格設定も変えた。七宝焼は長年、問屋を中心に流通し、窯元は実質、価格の決定権を持っていなかった。小売で作品が売れないと問屋が仕入れ価格を下げ、職人が卸値を下げて対応する、という負のスパイラルに陥っていた。窯元が材料費すら賄えない価格で作品を売るケースも、珍しくなかったという。
田村氏はその流れを断ち切るため、卸値を適正価格に設定し直した。さらに、ECなどDtoCの販売チャネルも開拓。既存の商習慣に抗うやり方に周囲から反対の声も上がったが、父の「やりたいようにやれば良い」という一言が田村氏の背中を押した。

また、ブランディングの過ちからも学んだ。七宝焼は元来、観賞用として発展してきた経緯があり、釉薬の原料には鉛が用いられていた。しかし、鉛を使わない釉薬が開発されたため、食器としての販売が可能に。1970年~80年代の高度経済成長期には七宝焼の食器が、その高級感からステータスシンボルとして家庭で流行ったことがあった。
ところが、七宝焼は日用品としては価格が高く、割れやすく、電子レンジにも使えないという扱いづらさがある。そんな中途半端なポジショニングが理由で大衆化せず、市場から徐々に押し出されていった経緯がある。
「七宝は『七つの宝』と書き、元々宝石扱いされてきた工芸品。業界では食器での失敗を過去の出来事として片付けている方も多いですが、アトツギとしてそれを踏まえ、挑戦していく必要があります」(田村氏)
変革は単なる新しさの追求ではなく、本来、企業やそのプロダクト、サービスが持つ価値を計り直し、正しく伝えていくことでもあるのだ。
「組織の異物」であるという自覚
一方の大森氏は、アトツギとしてもつべき心構えと、組織変革について語った。大森氏は、水泳はスポーツとして歴史があり、業界が保守的で男性社会だと指摘。そんな中、アメリカで育ち、社会経験もない自身がアトツギとして家業に入り、外で培った視点や感覚をもとに日々の業務に向き合うだけで、変革のきっかけになったと振り返った。そして、アトツギとしてのスタンスを示した。
「私がどんなに祖父のやり方に寄せようと思っても、絶対別物になってしまいます。『自分は組織の異物である』と理解し、傲慢に変革を起こそうとしないこと。会社は私のおもちゃではないので、会社にとって何がベストなのかを常に考えて動かなければならないと、ここ数年で学びました」(大森氏)


