伝統的な金融業界において、数々の「女性初」というガラスの天井を打ち破ってきた野村證券初の女性副社長、鳥海智絵。多様性ある職場環境の形成に寄与してきたとして、「Forbes JAPAN WOMEN AWARD 2025」でブレイクスルー賞を受賞した。「『偉くなりたい』と、ここまでやってきたわけではないんです。目の前のことの繰り返しで、気がつけば37年もたっていた」。鳥海が歩んできた道のりは、そのまま日本の金融業界における女性活躍の歴史と重なる。
1989年、男女雇用機会均等法の施行の3年後に、鳥海は野村證券の門をたたいた。女性総合職2期生。300人中わずか7人のうちのひとりだった。「よく『男社会の野村でどう生き残ったんですか?』と聞かれるんですが、実はあんまり意識したことがなくて」と意外な答えを返す。
配属されたのは、バブル絶頂期の株式関連部署である転換社債ワラント部。海外市場とも常に対峙し、外資系のプロフェッショナルたちとわたり合う最前線だ。「当時は主にロンドン市場で取引される商品を扱っていたので、普段から外資系企業とトレーディングをしていました。取引先では女性が当たり前に働いていましたから、上司も性別関係なく評価してくれました」。5人のトレーダーチームのうち、3人が女性。性別関係なくトレーダーとしての成果だけが問われる世界で「とても幸せなスタートでした」と振り返る。入社6年目に社内で選出されて米スタンフォード大学に留学し、経営学修士(MBA)を取得。帰国後は課長職を経験し、2005年には野村ホールディングス秘書室で女性初の社長秘書に就任した。
役職が上がるにつれて、見えない重圧に不安になることもあったという。「総合職として入社したので『ここであきらめたら、女はダメだ』と言われるんじゃないかというプレッシャーを勝手に抱えることもありました。後輩に迷惑をかけるんじゃないかって。同期にも私たちが頑張らないとダメなんじゃないの? とこぼすこともありました。今思うと、あのころがいちばん、肩に力が入っていたんじゃないかな」
トレーダーとして始まったキャリアは、やがて経営の中枢へとつながっていく。10年にはグループ全体の戦略を担う経営企画部長、14年には野村信託銀行の社長に就任。2期目で過去最高益を達成した。安倍政権が「20年までに女性リーダー3割」を目標に掲げ、「女性活躍推進」を国家戦略としていた時代とも重なり、「邦銀初の女性トップ」の誕生は時代の転換点として注目された。



