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2026.04.03 14:15

日本・香港アカデミー賞! 香港映画界唯一の日本人監督は外国人スターをこう差配する

香港映画界で独自の地位を築くアクション監督 谷垣健治氏

香港映画界で独自の地位を築くアクション監督 谷垣健治氏

2026年1月、日本アカデミー賞を受賞した香港映画『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦』。日本では興行収入5億円を超え、香港映画としては異例のヒットとなった。

この映画の裏に、ある日本人がいる。30年以上にわたり香港映画界で独自の地位を築いてきたアクション監督の谷垣健治氏だ。

日本では映画『るろうに剣心』シリーズのアクションを担当。シリーズの累計興行収入は125億円を超え、世界100カ国以上で配給されるヒットとなり、「日本映画のアクションの水準を塗り替えた」と評価された。

そのキャリアの原点は香港にある。スタントマンとして飛び込んだ異国の現場で、言葉も人脈もない状態から信頼を築いてきた。アウトサイダーとしてゼロから居場所を切り開いてきた谷垣氏に、世界で自分の強みをどう生かしてきたのかを聞いた。


初の仕事は警察の容疑者確認

アクションの世界に足を踏み入れるきっかけは、小学5年生のときに観た香港のカンフー映画『スネーキーモンキー 蛇拳』だ。主演は、今や世界的スターのジャッキー・チェン。

18歳になると、初めての海外ひとり旅で香港へ向かう。目的はただ一つ。憧れのジャッキーの映画『奇蹟(ミラクル)』の撮影現場を見ることだった。一晩中、その様子を見学しながら最も圧倒されたのは、主演俳優でありながら監督としても現場を率いるジャッキーの超人的な存在感だった。この時から、「自分も香港映画に関わりたい」と思うようになる。

それから2年後。再び香港を訪れた谷垣氏は、ジャッキーの事務所の前で本人を待ち伏せした。ついに現れたジャッキーと30分ほど話をする機会を得て、「香港でスタントマンになりたい」と自らの得意技も披露した。

日本から来た若者のあふれる情熱にじっと耳を傾けた後、ジャッキーは率直なアドバイスをくれた。

「香港で映画の仕事を探すより、日本で別の仕事をした方がいい」

それでも、アクション映画の本場である香港で学びたいという思いは揺るがなかった。

日本では、大学在学中から倉田アクションクラブに所属し、スタントマンとしての技術を磨く。しかし、日本にいても香港映画の世界に近づけない。そう感じた22歳の谷垣氏は、1993年6月、アルバイトで貯めた50万円を手に、知り合いもいない香港へ飛び込んだ。

「誰にも呼ばれていないけれど、勝手に来ました」

「望まれて来た人ではない」彼には、居場所もなければ通訳もいない。逃げ場のない香港で、200社以上の映画会社を電話帳で見つけては、「スタントマンできます!」と飛び込み営業をする日々が始まった。だが、広東語も話せない外国人に仕事を与えてくれる会社はない。

仕事をして稼がなければ香港で生活をしていけない。午前中は現地の大学で広東語を学び、午後はファストフード店で老人や子供に習いかけの広東語で話しかけてとにかく言葉を使う。こうして2カ月ほどで広東語と香港の土地勘を習得していった。生活がかかっているから、言葉を覚え、文化を理解し、香港コミュニティに食い込む。この「逃げ場のなさ」が、行動し続けるエネルギーとなった。

「当時、日本にはスタントマンの仕事がなかったのです。日本でスタントマンとして生活は成り立たないから、香港でやるしかないという切迫感がありました」

初めて手にした「俳優」の仕事は、映画でもテレビでもなかった。警察の「面通し(犯人識別)」で容疑者を演じる役だ。きっかけは、マクドナルドで声をかけられた「撮影」の仕事だった。警察署の最上階に連れていかれ、髪を染めて、部屋に入る。4時間ほどの仕事の報酬は300香港ドル(2026年3月現在、日本円で約6000円)。犯人を識別するための「容疑者役」だったことは後から知った。

ただ、この偶然の出会いが新しいチャンスにつながる。声をかけてきた男性は、エキストラ派遣会社の関係者だった。その縁でテレビや映画の仕事が入り始め、1年後には香港映画のスタントマンとして現場に立つようになる。

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文=ベック知子 編集=石井節子 (写真は谷垣氏の提供による)

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