世界を行き来しながら「下駄を履かせてもらう」
谷垣氏は、日本、香港、そして世界を行き来する中で形づくられてきたキャリアを「いろんな場所で、下駄をどんどん履かせてもらった」と表現する。香港でスタントマンとして活動してきた実績は、日本に戻れば「本場香港を知るアクション監督」という稀少価値を生む。日本で『るろうに剣心』という世界的なヒット作を作ったことで、香港に戻れば「日本での実績を備えた日本人監督」として評価され、アメリカ市場などへの足がかりとなっている。一つの場所に留まらず、各国で得た評価を次の場所での信頼に転換してきた。日本だけにいたら、これほど早くアクション監督にはなれなかっただろうと振り返る。
「香港に行ったばかりの頃は遠回りしている気がしていました。でも、長い目で見たら近道だったと思います」
彼の実力は香港でも高く評価されている。外国人の受賞は難しいとされる香港電影金像奨(香港アカデミー賞)では、アクション監督として2度の受賞を果たしている。
映画の世界では、自分の立ち位置は香港人だと語る谷垣氏。その理由は、よそ者だった自分を香港の人たちが寛容に受け入れ、映画だけでなく生き方まで教えてくれたからだ。
香港移住から1年後の1994年、日本人で唯一となる、香港スタントマン協会への入会を果たした。3人の推薦人を必要とする厳しい条件があるが、ベテランのアクション監督、トン・ワイ氏が特別に認めた。未知の場所に単身で飛び込み、拙い広東語で必死に思いを伝える。その姿が、香港の人たちに「身内」として受け入れられたのかもしれない。
「香港の成り立ちを考えると、香港の人も(中国本土などから移り住んできた人たちが多く)もともとはよそ者なんですよ。日本人以上に、常にアイデンティティの危機を抱えている。だから、香港の人は、香港が好きな外国人には優しいんです」
香港の社会が大きく変わる中、香港映画は消えていくという悲観的な見方もある。だが谷垣氏は、その未来を「チャイナタウン」に例える。かつて中国からの移民が世界各地にチャイナタウンを作り、それぞれの国でたくましく生きるように、香港映画のDNAもすでに世界に広がっている。
香港アクションは各国の文化と混ざりながら形を変え、世界の映画のスタンダードの一部になっていく。だからこそ、香港映画が完全になくなることはないと谷垣氏は考えている。
かつて誰からも必要とされず、ジャッキー・チェンにも「日本で別の仕事をしたほうがいい」と諭された。それでも「勝手に」香港へ飛び込んだあの日から30年。世界中のスタジオから「呼ばれる」存在となった今でも、彼の根底にあるのは、あえてアウェイに身を置き、慣れない国や文化に飛び込み楽しむ「よそ者」の精神だ。
「呼ばれる場所へ行き、そこでまたひどい目に遭ったらがんばればいい。それがおもしろいんです」
そう笑う谷垣氏にとって、もはや国境や国籍は大きな意味を持たない。あるのは、おもしろい現場があれば、どこへでも行き、冒険をしたいというシンプルな思いだ。
「ここにカメラとお金があるから何か撮ってよ、そう言われれば、僕はどこへでも行きます」
ベック知子(べっく・ともこ)◎香港在住のインタビューライター。東京外国語大学外国語学部スペイン語学科卒業。民放キー局で15年以上にわたり、アメリカ政治や国際情勢の取材に携わる。2022年からはアフリカ・タンザニアに拠点を移し、フリーランスとして独立。現在は香港を拠点に、グローバルに活躍する日本人の姿や、現地発のレポートを国内外のメディアに届けている。著書に『40代からの人生が楽しくなる タンザニアのすごい思考法(Kindle版)』がある。


