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2026.03.13 22:23

完全生成AIが奪うもの:創作における「IKEA効果」の重要性

stock.adobe.com

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Beth Foresterは、動画作成プラットフォームAnimotoのCEOである。マーケティング、リーダーシップ、顧客第一のプロダクトづくりに20年以上携わってきた。

最近の展示会で、ブースで交わされる会話のほとんどは、ほぼ同じ流れをたどった。私が話していたのはマーケターや中小企業の経営者、クリエイターたちだ。彼らは「好きでツールと格闘している」のではなく、「必要に迫られて」コンテンツを作っている人々である。ほぼ全員が、同じ問いを形を変えて投げかけてきた。

「あなたのプラットフォームはAIを使っていますか? 完成した動画を作ってくれますか?」

何度か答えたあと、私は話の方向を変えることにして、こう尋ねた。「これまでAIはどんなふうに役立っていますか?」

返ってきた答えはすぐで、しかも驚くほど似通っていた。

「うーん」

「あまり良くないですね」

「正直、欲しいものが出てこない。狙いにちゃんと刺さらないんです」

誰もAIに反発しているようには聞こえなかった。疲れているように聞こえた。

その疲労は、AIが失敗したという手がかりでも、人々が使い方を誤っているという手がかりでもない。私たちがAIに「間違った仕事」をさせようとしてきたという手がかりだ。こうした疲れは、より広範な調査にも表れている。例えば当社の「State of Video 2026」レポートの調査結果は、AIツールへの熱意と、そのアウトプットへの満足度の間に広がるギャップを示している。

人々が「AIが欲しい」と言うとき、たいていは「救い」を求めている。摩擦を減らし、進捗を速め、白紙に向き合う時間を短くしたいのだ。ところが実際に得られるのは、多くの場合「ほとんど正しい」アウトプットである。手直しの誘惑をそそる程度には近いが、修正が必要なほどには外れている。

問題はテクノロジーではない。創造の主導権(クリエイティブ・エージェンシー)が失われていることだ。

完全生成型AIは、人々がまさに発揮したい瞬間に、作者としての関与を取り去ってしまう。

写真から得た教訓

私は、AIが話題に上るずっと前からこれを学んでいた。

CEOになる前、私はポートレート写真家だった。私の仕事は、創造的なビジョンと、多くの制作工程が混ざり合うものだった。1回の撮影で数十枚、ときには数百枚の写真が生まれる。私の価値は写真を1枚ずつ処理することではなく、写真がどんな感触を持つべきか、どんな物語を語るのか、そして最終結果の中でクライアントが自分自身をどう見るのかを決めることにあった。

時間がたつにつれ、どこで自動化が役に立ち、どこで害になるのかを学んだ。バッチ処理や、一連の写真に対して一貫した技術的調整を適用するといった、エネルギーを消耗するだけで作品の質を向上させない反復的・機械的作業は喜んで手放した。

一方で、自動化したくなかったのは、プロセスの「始まり」と「終わり」だった。方向性を定め、最後は自分の手で仕上げる必要があった。最後の仕上げこそが判断の場であり、私が思い描いたものと、クライアントが感じたいものに作品を合わせ込む場だった。

クリエイティブツールがやり過ぎたとき、結果が損なわれることにも気づいた。写真家ごとの作品が同じように見え始めるのだ。技術的には問題ないが、感情の厚みがない。

同じパターンが、いまのAIにも現れている。

完全生成型AIは効率を約束するが、多くの場合、仕事の形を変えるだけだ。創造的労働の代わりに、人々は直感を正確なプロンプトへと翻訳し、何度も再生成し、今度こそシステムが近づいてくれることを願うという、骨の折れる作業を担うことになる。

多くの場合、近づかない。

所有感の喪失は、意味の喪失につながる

私は、AIツールに「正解」を出させようと粘った末に、費やす労力に見合わないとして手放した経験がある。アウトプットは一見許容できるように見えても、完成した感じがほとんどしない。さらに重要なのは、自分が実際に作ったものだとは感じられないことだ。完全生成型AIの問題は、労力を取り除くことで所有感も取り除き、ひいては真正性(オーセンティシティ)まで奪ってしまう点にある。

よく知られた行動概念が、何が起きているのかを説明する助けになる。「IKEA効果」とは、研究者のMichael Norton、Daniel Mochon、Dan Arielyが提唱した用語で、人は自分が制作に関わったものに対して、結果が客観的に完璧でなくても不釣り合いに高い価値を置く傾向を指す。その関与が、所有感、誇り、意味を生む。

完全生成型AIは、その効果をショートさせる。

私は以前、写真のクライアントに創作プロセスへ関与してもらう余地をつくったとき、これを目の当たりにした。私は強い選択肢を少数提示し、最も響くものを選んでもらった。選択肢から選ぶ、あるいは細部を少し調整するという単純な行為が、作品との関係性を変えたのだ。突然、写真はより個人的で、より意味のある、より「自分のもの」になった。

それこそが、あの展示会で私が話した多くの人々に欠けていたものだ。彼らが失望していたのは、AIが完全に失敗したからではない。プロセスの中に自分の居場所がなかったからだ。作者として関与する瞬間がない。IKEA効果がない。

コントロールが少なすぎると、窮屈に感じる。コントロールが多すぎると、摩擦と疲労を生む。最も効果的なツールは負荷を減らし、適切なタイミングでコントロールを返す。

最も価値のある活用は、完全自動化を狙わない。ワークフローに焦点を当てる。作者性を奪わずに、人々がより速く前へ進めるよう助ける。まず下書きをつくり、その後に本人へ返す。成果の所有者にならず、プロセスを支える。

より良い人間とAIの協働

AIが最も力を発揮するのは、反復を取り除き、判断を加速し、人間が舵を取り、仕上げる能力を保つときだ。チームがAIに苛立つのは、ツールの力が足りないからであることは稀である。むしろ、適用範囲が広すぎ、もともと仕事に価値を与えていた判断や趣味(テイスト)を平板化してしまったからだ。

このAIの使い方が意味するのは、AIがどこにでもあるなら、画一性もまたどこにでもあるということだ。本当の機会は、人間の創造性を置き換えるのではなく増幅するツールをつくり、方向づけることにある。

AIが人間の指示によって前後を挟まれるとき、人は単に速く働くだけではない。より良い仕事をする。意味があり、個人的で、つくる価値があると感じられる仕事だ。それが私たちが目指している哲学であり、次世代の本当に役立つAIを定義するレンズになると私は信じている。

forbes.com 原文

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