2025年3月の「TAKANAWA GATEWAY CITY」のまちびらきから約1年。「100年先の心豊かなくらしのための実験場」を掲げるこの巨大なスマートシティは今、明確な“実装”のフェーズへと突入している。
その心臓部を担うのが、TAKANAWA GATEWAY CITYに展開するビジネス創造施設TAKANAWA GATEWAY Link Scholars‘ Hub(以下、LiSH)だ。実際の生活空間(Living)を研究・実験の場(Lab)として、さまざまなステークホルダーが協働して新しい技術、サービス、社会システムを開発・検証する「リビングラボ」を街全体で展開してきた同施設の成果と、見えてきたその可能性について、話を聞いた。
「私たちの役割は、単なる場所の提供ではありません。目指したのは、JR東日本グループやTAKANAWA GATEWAY CITYパートナー企業のさまざまなアセットを総動員して、会員企業が求めるリソースを繋ぐという『ブリッジ』の役割です。会員企業からの相談に対して社内外のネットワークを最大限活用し、ツテを探る。『できる』『できない』とクイックに判断を下し、素早くフィードバックをお戻しする。この泥臭い伴走とスピード感こそが、スタートアップが事業を加速させるための支援に繋がると考えています」
そう語るのは、JR東日本でLiSHの運営に携わる島川えり子(写真、右。)だ。現在、LiSHの会員数は約150社、初年度に行われた実証実験数は約50件にのぼる。この数字は、国内の共創施設の中でも群を抜く実績ではないか、と島川は言う。
なぜ、これほどまでに多くの実証実験が短期間で実施されたのか。その要因は、JR東日本が提供する支援の解像度にある。
LiSHには「ブリッジコミュニケーター」と呼ばれるスタッフが常駐し、スタートアップのニーズを深掘りする。その支援内容は、イベントの共催やPRといった表面的なものに留まらない。ある時は会員企業の顧客開拓セールスに同行し、ある時は実証実験のオペレーションを文字通り手伝っている。
「支援の型はあえてつくっていません。とにかく何でもやる。例えば、農業系スタートアップであれば、JR東日本グループの農地を探し、時にはLiSH運営スタッフの親戚の農場を紹介します。実証実験の実施にあたっては、私たちが現場での調整にまで入り込みます。JR東日本グループという巨大な組織を背景に持ちながら、スタートアップと同じスピード感で『前日に言われたことを翌日に試す』。このフットワークの軽さこそが、社会実装を加速させるエンジンになっています」(島川)
LiSHが提供するのは、綺麗なオフィスやネットワークだけではない。鉄道、不動産、決済データ、そして約1,700もの駅ネットワークという、JR東日本グループが約40年かけて築き上げてきた都市インフラそのものへのアクセスを可能にしている。島川は、LiSHを「JR東日本グループにとっての“出島”」だと位置づける。

「当社にはCVCを通じた出資もありますし、街から生まれたファンド・高輪地球益ファンドもあります。スタートアップとJR東日本グループとのさまざまなつながりが出来ていく中では、現場の部署から『会員企業が持っている技術に関心があった』と声が上がるケースも増えており、JR東日本グループ全体でスタートアップ連携の機運が生まれていると感じます」(島川)
データが武器になる——Suicaと人流が変える、検証の解像度
LiSHの優位性は、物理的なアセットの提供だけに留まらない。KDDIと開発した街と鉄道のデータ基盤「TAKANAWA GATEWAY URBAN OS」も見逃せない。
「LiSH会員は、TAKANAWA GATEWAY CITY における都市OS『TAKANAWA GATEWAY URBAN OS』のサービスを利用することで、街の防犯カメラ映像から画像解析した人流データや、IoTセンサー等で取得した街の情報に加えて、JR東日本が持つ鉄道運行情報(列車の在線位置、混雑データや、改札通過データ)にアクセスできる。自分たちのプロダクトやサービスが実際にどう受け入れられているのかを、より具体的、かつ客観的なフィードバックとして持ち帰っていただくことができます。自分たちの仮説が正しかったのか、あるいは修正が必要なのか。その検証の精度こそが、この街で実証を行う大きな価値になると考えています」(島川)
さらに、「実証実験チャレンジプログラム」では、採択されたスタートアップに対し、実証フィールドの提供のみならず、実証費用の補助といった支援も行う。単なる場所貸しから一歩踏み込み、JR東日本が事業パートナーとしてリスクを分担する姿勢が、日本一の実験密度を生む原動力となっている。
スタートアップ3社が語る、リビングラボの真価
では、LiSHという実験場で、入居するスタートアップはこの場所で何を見出し、どのような手応えを得ているのか。「環境」「モビリティ」「ヘルスケア」というLiSHの重点領域をそれぞれ手がける3社のフロントランナーたちにも話を聞いた。
【環境】BIOTA:微生物多様性が都市の「豊かさ」の指標になる
「都市の微生物多様性を高めることで、人と生態系の健康を両立させる」——代表の伊藤光平は高校生の頃から微生物の研究に取り組んできた。 その中で「都市の微生物多様性」の重要性に目を向けるようになり、その実現を目指してBIOTAは設立された。同社は、TAKANAWA GATEWAY CITYの商業施設「ニュウマン高輪」のカフェチェーンと協力し、コーヒーかすを、微生物とともに堆肥化して街の植栽に還す循環モデル「高輪堆肥」の構築を進めている。
「LiSHに入居し、TAKANAWA GATEWAY CITYで活動する中で、私たちが10年以上信じてやってきたことに、JR東日本さんが実証実験のフィールドとしてチャンスをくれたことは非常にありがたいです。今回のプロジェクトで重視しているのは、都市で暮らす中での生活者としての実感です。どこか遠いところで行われがちな堆肥化の取り組みをあえて街の中で行うことで、自分が飲んだコーヒーかすが街の植栽に還るという距離の近さが生まれる。あえて人の往来がある場所でオープンに堆肥化を進めることで、目に見えないけれども微生物は確実に自分たちのそばにいて、自分たちに影響を与えているという事実に、ぜひみなさんが気づいてほしいと思っています」(伊藤)
【モビリティ】Ashirase:複雑な「本番環境」こそが、最高のテストフィールド
そして、視覚障がい者の「歩行の自由」を目指し、靴に装着する振動デバイスを開発するのがAshiraseだ。同社は「GATEWAY Tech TAKANAWA 2025」ピッチコンテストでの優勝を機に、「ニュウマン高輪」という本番環境での実証をスタートさせた。振動デバイスによる視覚障がい者の移動支援に加えて、スマートフォンのカメラをかざすだけで目的地へと案内、店舗の商品説明などを行う屋内ナビゲーションの導入検証を実施している。
「人が行き交う複雑な商業施設は、視覚障がい者にとって最もハードルの高い空間の一つです。単に目的地に辿り着けないことだけではなく、建物内の音や匂いが複雑なために周囲の状況が掴めない不安が起こりやすく、外出の意欲そのものを削いでしまうのです。今回の実証実験では、AKOMEYA TOKYOといったリアルな店舗や什器が並ぶ施設内で、振動デバイスとテレビ電話を用いた屋内ナビゲーションの精度と受容性を検証しました。ピッチコンテストの時点で屋内ナビゲーションのサービス化は検討しておらず、自社の事業内容が変化していく中で、LiSHには臨機応変に対応いただきました」(Ashirase 代表取締役CEO 千野歩。写真/左)
【ヘルスケア】メタジェン:オフィスワーカー向け食堂という「日常」をラボに変える
「病気ゼロを実現する」という壮大なビジョンを掲げ、慶應義塾大学と東京工業大学(現・東京科学大学)の研究者が立ち上げたメタジェン。同社がLiSHで行ったのは、腸内環境を整える「腸活メニュー」がビジネスパーソンの行動変容にどう寄与するかという検証だ。LiSHの会員も利用するオフィスワーカー向け食堂のLINK Lounge 01で、30名の参加者向けに2週間のオリジナル腸活メニューを提供した。
「研究室の中での実験と大きく違うのは、そこが日常の場であることです。特定のサプリメントを摂取してもらうのではなく、日々のランチという選択肢の中に腸活メニューを組み込む。すると、毎日何を食べようかを選ぶコストが省けるといった、働く人々ならではの切実なインサイトが得られました。意識の高い層だけでなく、忙しくて食事を疎かにしがちな層の行動をどう変えるか。n=1のリアルな声とデータが、より実用的なソリューションを生み出す上でとても重要だと感じています」(メタジェン 商品開発支援事業部 部長 小松香織。写真/中央)
“本番環境”が、最高のテストフィールドである理由
メタジェン、BIOTA、そしてAshirase。領域の異なる3社の取り組みに共通しているのは、LiSHという「リビングラボ」を通じて、プロダクトの解像度が劇的に引き上げられている点だ。
従来のPoC(概念実証)の多くは、閉ざされたラボや一時的なイベントの中で行われ、そこには“日常の感覚”が欠落しがちだ。しかし、LiSHが提供するのは、駅、商業施設、オフィスが混然一体となったプラットフォームであり、本番環境そのものである。実際の生活者が行き交う場所で、何が受け入れられ、何が拒絶されるのか。そのフィードバックをクイックに得られる環境は、スタートアップにとって何物にも代えがたい資産となる。
事実、LiSHで実証実験を行うスタートアップ各社は、未来への壮大な展望を描いている。
「私たちの目標は、この街での取り組みをグループ全体で掲げている『病気ゼロ』の実現につなげることです。LiSHでの実証を通じて得られた食事による行動変容等に関するここで得られた知見を、誰もが当たり前に健康になれる社会の仕組みへと繋げていければと考えています」(メタジェン 小松)
「明確にやりたいことは2つあります。1つは、まちづくりのゼロイチの段階、つまりグランドデザインの中に、よりエコロジカルな視点を組み込んでいくこと。多種多様な生き物がどう絡み合って生きているのかというマルチスピーシーズ(多種)の視点を都市に入れ、微生物も含めて実装していきたい。
2つ目は、人々の根幹に生物多様性の話を届けるための“可視化”です。私たちが普段どのように他の生き物と関わり、資本を消費しているかというエコロジカル・フットプリントを見せていく。微生物多様性が都市計画の基準の一つとして当たり前になっている世界を、時間をかけて目指していきたいと考えています」(BIOTA 伊藤)
「今後は複雑な屋内環境でのナビゲーション技術をベースに使える施設をさらに増やして行きつつ、AR(拡張現実)を活用したナビゲーションや、福祉施設でのトレーニング、さらには災害支援など、活用の幅をより広げていきたいと考えています。視覚障がい者の方はもちろん、あらゆる人が気兼ねなく自由に歩くことができる。そんな世界一優しいデジタルインフラを構築するのが私たちの夢です」(Ashirase 千野)
実験場の先にある、社会実装のスケール
3社の飽くなき実験を支える島川は、LiSHの真価は高輪という一拠点に留まらないと強調する。JR東日本グループが持つ全国約1,700の駅、そして1日約1,600万人という豊富な顧客接点、さらには約150社の会員企業のネットワークこそが、この実験場の真の射程距離だ。高輪で芽吹いたイノベーションは、日本中・世界へとスケールしていく可能性を秘めている。
「LiSHは、スタートアップとグループアカデミア・大企業が直接繋がり、共に汗をかくための重要な接点であり、JR東日本グループ全体の変革の核になると確信しています。『TAKANAWA GATEWAY CITY』というビジョンに賛同いただける方で、『いろいろなことを試してみたい』という思いをお持ちの企業は、ぜひお気軽にLiSHを訪ねてみてほしいです。ウェットラボなどの施設面での強みもありますし、新たにオープンした『Studio 3』では地方創生に関する展開も広がっていきます。ありとあらゆる実証実験が行われる場として、今後もスタートアップの皆様をご支援していきたいと思っています」(島川)


現在、LiSHにはディープテックからサービス業まで、多様なプレイヤーが集結している。そこにあるのは、既存の業界構造を破壊することではなく、テクノロジーとリアルのアセットを掛け合わせ、より豊かな社会を「共創」しようとする意志だ。かつて鉄道が日本の近代化を加速させたように、次の100年の豊かさはTAKANAWA GATEWAY CITYから全国へと遍く届けられていくだろう。
TAKANAWA GATEWAY Link Scholars’ Hub
https://www.takanawagateway-lish.com/



