教育

2026.03.13 10:39

理論と実践の断絶──ビジネススクールはリーダーシップの信頼性をいかに取り戻すか

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次の場面を想像してほしい。国連の気候サミットに集まった代表団が、他グループのリーダーと関わりながら協力を求め、協調と緊急性の精神のもとでトレードオフを交渉している。目標は何か。戦略上の優先事項を守りつつ、地球温暖化を抑制するという共同の目的を前進させる行動にコミットすることだ。

グループ間の交渉は活発で、熱を帯びる。「我々は運命共同体だ」という共通認識が根底にある。あるリーダーが、別のリーダーのコミットメントを補完する行動を取ることで支持を表明する。連帯と、気候対策における実質的な前進を示す動きだ。

ところが、最終的な行動が提示される段になると、完全な反転が起きる。そのリーダーは、ほぼ全面的に自らの業界に奉仕するよう調整された政策を発表するのだ。

これは実際の気候サミットではない。筆者が実施するリーダーシップ・ワークショップのロールプレイであり、ビジネス系の学生が国連気候会議のシミュレーションに参加し、産業界や各国のステークホルダーの役割を担った。長年にわたり、この演習は厳しいが協働的な交渉を促してきた。しかし今回は違った。自己利益へと舵を切る「再調整」が、これほど露骨に起きたことはなかった。それでもその変化は、不穏なほど見覚えがあるものに感じられた。学生たちが現代社会で「報われるもの」としてますます目にするリーダーシップのパターンと重なっていたからだ。

私たちは、合意形成ではなく対立によって注目を集めるリーダーたちの見出しに日々さらされている。企業の取締役会は、ESGや多様性・公平性に関わるものを含め、価値に基づく戦略イニシアチブから静かに、あるいは大胆に後退している。AIの導入も加速しているが、ガードレールについて十分立ち止まって検討されないことも多い。

いま私たちが向き合うべき根本的な問いがある。私たちは、将来彼らが引き継ぐ世界に向けてリーダーを育てているのか。それとも、存在してほしいと願う世界に向けて育てているのか。

筆者は4人のビジネススクールのリーダーに、リーダーシップ教育が失敗しているのか、それとも騒がしく分断が深まる時代における「有効なリーダーシップ」の姿を私たちが読み違えているのかを尋ねた。彼らの回答は懐疑と希望の双方を映し出し、リーダーシップ教育が何を正しく捉え、何を誤り、そして次世代が人間味を持ち、責任を果たし、効果的に導けるようビジネススクールはいかに備えるべきか──その深い議論を浮かび上がらせる。

理論と実践の間にあるリーダーシップの断絶

リーダーシップ理論が、現実から切り離された理想論的レトリックになってしまっているのか。そう問われたアショカ大学(Ashoka University)のアントレプレナーシップ&マネジメント部門責任者ビベック・バネルジーは、こう答えた。

「四半期ごとの成果が報われる世界では、長期的なステークホルダー価値に焦点を当てた規範的理論に実務が従うと期待するのは甘い考えだ」

この批判には真実がある。短期主義に関する研究は、四半期の業績に連動した役員報酬が、長期的な意思決定を歪め得ることを示している。システムがスピード、支配、可視性を報いるとき、倫理的な自制は戦略上のコストに見えてしまうことがある。

とはいえ、全ての学部長がこの断絶を絶対的なものと見なしているわけではない。イリノイ大学シカゴ校(University of Illinois Chicago)ビジネス・アドミニストレーション学部長のサンディ・ウェインは、反対の視点を提示する。

「目的、誠実さ、包摂性をもってリードしている組織のリーダーは、はるかに多い。問題は、そうした人々が一般のメディアで認知されることが少ないということだ」

コーク大学ビジネススクール(Cork University Business School)学部長のアンソニー・マクドネルも同様に、分断を過度に強調しないよう注意を促す。メディアによる増幅や情報の拡散の仕方の変化が、ステークホルダー重視のリーダーシップから全面的に後退しているかのような認識を誇張している可能性があるという。

「ごく目立つ少数の人物の存在によって、この断絶の性質を過大評価してしまう危険がある」

ナバラ大学(University of Navarra)の学部長アントニオ・モレノは、論点をより深いレベルに置き直す。問題は理論の失敗というより、社会が何に報いるかにあるのだと彼は言う。

「誠実さとは、正しく理解すれば、個人の成功よりも他者の利益を優先することだ」

成功が政治的であれ財務的であれ「勝つこと」と狭く定義されるなら、奉仕に根ざしたリーダーシップモデルが時代とずれて見えるのは必然である。

これらの見解を総合すると、ビジネススクールの単純な失敗というより、より繊細な実態が見えてくる。断絶が続くのは、理論が無意味だからではない。インセンティブ、メディアの力学、成功の文化的定義が、別の行動様式を報いやすいからだ。

したがって、より重要なのは、卒業生が入っていくシステムが、私たちが価値あるものとして掲げるリーダーシップと整合しているかどうかである。リーダーシップ理論そのものの妥当性を問うことではない。

現実世界の複雑性に備えるリーダーを育てる

ビジネススクールは何十年にもわたり、リーダーシップを中核能力として位置づけてきた。カリキュラムには、倫理、ステークホルダー・マネジメント、システム思考、適応型戦略がますます組み込まれている。しかし、テクノロジーの破壊的変化、政治的分断、拡大するステークホルダー圧力に対して、それで十分な準備になるのだろうか。

4人の学部長との対話から、3つのテーマが浮かび上がった。

リーダーとしての判断力に必要なのは講義以上のものだ

ビベック・バネルジーは、この点を率直に強調する。

「リーダーシップ・プログラムは、テクノロジーの破壊的変化と分断のただ中で起きる倫理的ジレンマに学生を備えさせる点で不十分だ。学生はこうした理論を『知っておくとよいし話題にもなる』程度に扱い、本気で受け止めない」

研究も、この感覚と響き合う。適用の文脈を欠いたリーダーシップ知識は、倫理的でリアルタイムな意思決定へとつながらないことが多い。

リーダーシップ開発には個人的成長への配慮が欠かせない

アントニオ・モレノにとって、個人の発達とリーダーシップの有効性の相互作用は決定的に重要である。

「教えられるいかなるリーダーシップモデルも、誠実さと真の奉仕の精神に根差していなければならない。真にプロフェッショナルとしての成功は、個人的成長と切り離せない」

大学院生のリーダーシップ開発に関する研究は、構造化された自己評価、内省、コーチングが、指導だけの場合よりも、倫理的意思決定と感情調整を効果的に強化することを示している。リーダーシップ教育は、学生が何を知っているかだけでなく、どのような人物へと変わりつつあるかにも焦点を当てなければならない。

リーダーシップ開発には実践とメンタリングが必要だ

サンディ・ウェインは没入型の経験を重視する。

「効果的なリーダーシップは、実践と、優れたメンターによる導きによって培われる」

これは、Center for Creative Leadershipが提唱し広く引用されるリーダーシップ開発の70-20-10モデルとも一致する。成長の70%は困難な経験から、20%はメンタリング関係から、10%は正式な教育から生まれるというものだ。学生を現実の意思決定文脈に組み込むプログラム──インターンシップ、シミュレーション、エグゼクティブ・コーチング──は、倫理的判断と適応的な問題解決の定着率が高いことが示されている。

これらを踏まえると、リーダーシップ教育は失敗しているのではなく、進化が求められていると言える。知識は必要条件だが十分条件ではない。ビジネススクールとリーダーシップ開発プログラムは、理論が現実と衝突する瞬間に備え、将来のビジネスパーソンがリードできるよう、道徳的勇気、共感、システム思考をいかに育むかを絶えず再考しなければならない。

分断の時代にリーダーシップの信頼を取り戻す

リーダーシップ教育は、信頼性が問われやすい環境で機能している。筆者が話を聞いた学部長たちは、信頼を取り戻すには、期待値を再調整し、語り口を作り替え、制度としての勇気を示すことが必要だと示唆する。


リーダーシップ教育への期待をリセットする

アンソニー・マクドネルはこう指摘する。

「リーダーを短期間で訓練できるという期待が大きすぎる。人のリーダーシップは、教育、経験、内省が混ざり合う中で育っていく」

リーダーシップの発達は累積的であり、時間をかけて展開し、生活経験に形づくられる。迅速なスキル獲得と測定可能なROIに執着する時代において、リーダーシップは1学期で──あるいはさらに悪いことに、ワークショップで──提供できるものとして扱われがちだ。

その期待は非現実的である。ビジネススクールは、完成された「即戦力」のリーダーを約束できない。できるのは、時間とともに成熟する倫理的判断の基盤を育むことだ。

「成功するリーダー」の意味を再定義する

アントニオ・モレノは警鐘を鳴らす。

「成功と勝利が究極の目標として扱われるなら、私たちは根本的に誤っている」

ビジネススクールは、インセンティブの仕組みやメディアのサイクルを支配できない。しかし、自らのエコシステムの中で成功がどう枠づけられるかには影響を与えられる。研究、ランキングに関する対話、卒業生の顕彰、社会との関与を通じてである。

四半期ごとの「優位」が基準であり続けるなら、価値に基づくリーダーシップは甘く見える。持続的な価値創造が基準になれば、物語は変わる。

持続するリーダーシップのモデルを可視化する

サンディ・ウェインは、目立つ「悪しき振る舞い」と、注目されにくい倫理的リーダーとの間にある認識のギャップを指摘する。リーダーシップ教育は、謙虚さ、包摂、長期的なレジリエンスを体現する模範例を引き上げることで、この歪みを相殺できる。

学校が模範例として取り上げるリーダーが、次世代にとって「信頼に足るリーダーシップ」とは何かを定義する助けとなる。

リーダーシップの「ダークサイド」と向き合う

ビベック・バネルジーは、システムが時に「ダークサイドの行動」を報いると観察する。リーダーシップ教育は、この現実に正面から向き合うべきだ。権力駆動型のリーダーシップを批判的に検討し──それを支えるインセンティブや、しばしばもたらされる長期的な脆弱性を含めて──理解を深めることは、信頼性を損なうどころか強化する。

不都合な現実が無視されるとき、学生は信頼を失う。誠実に検討されるときではない。

効果的なリーダーシップ教育には学問的自律が必要だ

マクドネルは重要な構造的懸念として、制度の独立性を挙げる。

ビジネススクールが企業との提携や政治的好意に過度に依存するようになると、支配的なリーダーシップ規範に異議を唱える意欲は狭まり得る。学問的自律は哲学的なぜいたくではない。信頼性の基盤である。

朗報がある。

理論と実践の断絶は、見出しが示唆するほど絶対的ではない。しかし、行動としてのリーダーシップがどう見えるかを決めるのは、現実そのものよりも認識である。ビジネススクールにとっての真の試金石は、今日のリーダーシップ規範を映し出すことではなく、次世代がそれを超えてリードできるよう備えさせることにある。

forbes.com 原文

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