「思考がとまる」とは何か 再解釈の価値

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先月、ポッドキャストで興味深いエピソードに出会いました。アメリカの公共ラジオNPRが運営し、人種問題を探求する番組「Code Switch」が2月21日にリリースした『What is "white culture," anyway?(そもそも「白人文化」とは何なのか?)』という回です。

このエピソードが起点としたのは、その1週間前に開かれた米国上院の承認公聴会。「白人アメリカ人は国内のどの集団よりも多くの人種差別に直面しており、“白人文化”は深刻な消滅の危機に瀕している」という主張を擁護するトランプ政権の国務省指名候補に、ある上院議員が「ではその“白人文化”とは何か」と問う場面から始まります。

国務省指名候補は言葉に詰まりながら、それは白人教会の雰囲気や食習慣に現れていること、また「白人文化が消滅している一例」として、最近のスーパーボウルのハーフタイムショーが英語以外の言語で上演されたことなどを挙げました。

続けて、このポッドキャストのホストであるジーン・デンビーさんが皮肉を込めてリスナーに語りかけます。かつてアメリカでは、アイルランド、イタリア、ドイツからの移民が「正しい種類の白人」とは見なされていなかったこと。そして、彼らは徐々に「アメリカ白人社会」に吸収され、その過程で彼ら特有の文化的アイデンティティの一部が軽視されていったこと。

さらに、ゲストに迎えられた『白人の歴史』の著者で歴史家のネル・アーヴィン・ペインターさんとともに、「白人」という人種の境界線は、境界線を引く者の利害によって常に変化してきたのであり、それは白人だけに限らず、黒人、ラテン系、アジア系などすべての「人種の境界線の歴史」にあてはまるということを強調していました。

興味深かったのは、「いま黒人としての連帯感が薄れてきているかもしれない」というペインターさんの見解です。歴史的な抑圧という共通体験から生まれた連帯は、1990年代以降に増えたアフリカ系移民たちには必ずしも自明ではない。彼らはナイジェリア人やケニア人など「個人」としてアメリカに渡り、成功を目指しているのだというのです。「連帯とは、何を共有することで生まれるのか」という問いの複雑さを考えさせられました。

自分の存在が見過ごされているのではないか、世界はもはや自分のために作られてはいないのではないか、という疑念は原動力となります。要は、その大きな力をどこに向け、どう使うのかということなのかもしれません。それを考えるきっかけとなったのは、このポッドキャストを聞く数日前に読み終わった、ひとつの再話文学でした。

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文=前澤知美(前半)、安西洋之(後半)

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