「思考がとまる」とは何か 再解釈の価値

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小説家マデリン・ミラーさんの『キルケ』は、ホメロスの『オデュッセイア』を反転し、女神であり魔女のキルケの視点からギリシャ神話を再話した作品です。

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古典文学を専攻し、ラテン語とギリシア語教師でもあるミラーさんは、ホメロスの作品では「小さな障害」としてしか登場しないキルケのエピソードを、現代的なトーンと感性で「自分の内面と向き合い、ゆっくりと自分の力を発見していく人物」として語り直しています。もともと再話作品とは知らず積読していたのですが、ふとフィクションを求めて手に取ってみたら3日で読み終えてしまいました。

興奮冷めやらず、今はホメロスの『オデュッセイア』を読みながら、より再話の価値を実感しています。古典にはよくあることとはいえ、この原典にはつい読む手を止めたくなる女性の描写が多々あります。しかし『キルケ』を先に読んでいたからこそ、過剰に反応せずに、物語の豊かさや技術的価値について素直に感動できている自分がいます。

「再話」というキーワードで調べていくと、パット・バーカーの『女たちの沈黙』、ナタリー・ヘインズの『A Thousand Ships』、ジェニファー・セイントの『Ariadne』など、過去10年間、ギリシャ神話をフェミニスト的に再解釈する作品が数多く出版され人気を得ています。

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この人気に対して、オックスフォード大学の学生新聞チャーウェル紙の記事『Why we’re obsessed with Greek myth retellings(なぜ私たちはギリシャ神話の再話に夢中なのか)』では、15世紀にオランダの哲学者エラスムスやイタリアの詩人ペトラルカなどの人文主義者が行っていた「イミタティオ(Imitatio)」と呼ばれる創造的な模倣と比較します。

「イミタティオ」文学とは、古代ギリシャやローマの古典的な名作をモデルに、それを模倣・変容させることで新しい文学作品を創造する手法や文学観のことです。単なる真似ではなく、古典の持つスタイルや精神を理解し、現代の言葉や文化に合わせて翻案するという点は同じでも、当時と今では創造の目的が違うのだと記事は指摘します。

15世紀の人文主義者たちは、先人のスタイルを吸収し、独自のスタイルを確立することを目指しました。一方、今日の作家たちは「共感」や「語られなかった声の回復」を求めて古典を再訪し、「誰の経験が記録に値すると見なされ、誰の経験はそうではなかったのか」を問うのです。

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先述のポッドキャストと神話の再話ブームに共通するのは、「無視されている」という感覚ではないでしょうか。この感覚は今、世界中のどの社会においても広く浸透しているように感じます。そして、どんな文化的・歴史的・創造的リソースにアクセスできるかで、その感覚を「掘り下げ、再構築する」のか、はたまた「見えないのは誰かのせいと結論づける」のかなど、反応や行動がかなり変わってくるのです。

再話に触れてみて思うのは、世界が断片化し「消去」をめぐる争いが激化する時代だからこそ、バラバラになりそうな欠片を繋ぎ合わせ、希望ある未来を可視化しようとする創作者の役割はけっして小さくないということです。自分も作り手の一人として、日々行う小さな選択──素材、色、形でさえも──が無縁ではないのだと身を引き締める思いです。

そういった意味では、ラグジュアリーの風景に何をどう描くのかという問いともつながる気がしています。安西さん、再話というテーマで、どのようなことを思われますか?


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文=前澤知美(前半)、安西洋之(後半)

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ポストラグジュアリー -360度の風景-

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