「曖昧さへの強さ」は採用で最も頻繁に挙げられる資質の1つである。同時に、最も誤解されている資質の1つでもある。
求人票は何年にもわたり、この言葉に頼ってきた。「曖昧さに強い人を求む」ほとんどの候補者は洗練された受け答えを用意しており、ほとんどの採用担当者は、それが実際に何を意味するのか立ち止まって問うことなくうなずく。その結果、職業人生において最も重要になり得る認知的特性の1つが、人によって現れ方が異なる「学習可能な規律」ではなく、性格のチェック項目として扱われてしまう。
真の「曖昧さへの強さ」とは、無秩序に耐えることでも、混沌の前で平静を装うことでもない。自分は曖昧さに強いのだとようやく考えられるようになる重要な捉え直しは、曖昧さへの強さとは、不確実性をビジョンへと変換し、そこに至るプロセスをつくる能力だという点にある。
それを最も上手にやる人々は、未知を愛しているというより、未知を解消したいという強い動機に突き動かされている場合が多い。そして、到達点を思い描き、そこに至るプロセスを組み立てる創造性に胸を躍らせている。
神経科学が明かす「曖昧さ」と創造的アウトプット
曖昧さへの強さが性格特性として語られると、議論は気質の話で止まりがちだ。つまり「ある人にはあり、別の人にはない」という整理である。だが認知心理学と神経科学の研究は、より有用な物語を提示する。曖昧さへの強さと創造的アウトプットは単に相関するだけではない。時間の経過とともに互いを能動的に強化し合うように見える。
The Journal of Creative Behaviorに掲載された研究は、この関係を直接検証し、発散的思考課題、物語執筆の演習、自己申告による創造的行動を通じて、曖昧さへの強さと創造的パフォーマンスを測定した。曖昧さへの強さのスコアが高い人ほど、一貫してより新規性が高く多様な創造的アウトプットを生み出した。情報が不完全な状態に腰を据え、性急に結論へ閉じようとしない能力が、心が検討し得る解の範囲を能動的に広げることを示唆している。
この関係は逆方向にも働くらしい。2022年にカリフォルニア大学サンタバーバラ校で行われた統制実験では、創造的課題を終えた被験者は、創造的でない課題を終えた被験者に比べ、当選確率が曖昧な宝くじへの投資意欲が高くなった。含意は大きい。創造性は曖昧さへの強さを必要とするだけでなく、それを生み出すのだ。創造的な問題解決を一貫して実践するほど、脳は不確実性を「退くべき合図」ではなく「探索すべき合図」として扱うよう学習していく。
神経レベルでは、ブラウン大学の研究者が、既知の選択肢に戻るのではなく、不確実な選択肢を積極的に選ぶ人がいる理由を説明し得る前頭前野の特定の構造を特定した。fMRIを用いたところ、いわゆる「探索者」(環境をより深く知るために曖昧な選択を追求する人々)は、選択肢間の相対的な不確実性を評価することに関連する右の吻側外側前頭前野を特有に活性化させていた。この研究の最も注目すべき洞察は動機づけにある。これらの人々は、曖昧さを嫌う程度が低いのではないかもしれない。むしろ「より良い選択肢が存在したかどうかを永遠に知れない」という長期的な曖昧さを、より強く嫌うように見える。そのため、不確実性を時間とともに減らすべく、未知に先回りして向き合うのである。
これは議論全体を捉え直す。曖昧な環境で活躍すると称賛される人々は、多くの場合、それを解消したいという深い欲求に突き動かされている。無秩序それ自体に引かれているのではない。無秩序を、構造化され、明確で、独創的なものへ変換していくプロセスに引かれているのだ。
2つの異なる「志向性」──いずれも不可欠
組織が最もよく犯す誤りの1つは、曖昧さへの強さを単一で均質な特性として扱うことだ。しかし実際には、それは意味のある2つの異なる形で現れ、それぞれが異なる強みを要し、組織にとって異なるニーズに応える。
2つの不動産開発プロジェクトを考えてみよう。1つ目は更地だ。建物も公共インフラも設計図も制約もない。2つ目は大規模な改修を要する既存の家で、外観の更新、構造の補強、間取りの全面的な再構想を含む。どちらも価値があり、負荷の高いプロジェクトだが、根本的に異なる職業的志向性を活性化させる。
更地にエネルギーを得る人は、第一原理から組み立てていく自由に引かれ、これまで存在しなかった到達点を描き、ゼロからそこへの道筋を設計したいと考える。一方、改修プロジェクトに引かれる人は、深い専門性を持ち込むことが多い。複雑なシステムの中でどの要素を残すべきか、どこに構造的介入を行えば最もレバレッジが効くか、既存の基礎が課す制約をどう乗りこなすかについての直感である。
組織にはこの2つの原型がいずれも必要であり、採用の議論で繰り返される誤りは「曖昧さに強い」という言葉が、更地のビジョナリーだけを指すと仮定してしまうことだ。実際には、曖昧な環境で最も有効に動ける実務家の多くは、混乱のどの部分が最も重要かを見抜く洗練された直感を持ち、狙いを定めた専門性によって不確実性を素早く消化し、構造化され実行可能なものへと変換している。役割が実際にどちらの種類のプロジェクトを要するのかを見極め、両方の能力を備えたチームを構築することは、組織設計において最も過小評価されている次元の1つである。
曖昧さを生産的にする「学習可能な」スキルセット
研究から得られるおそらく最も重要な洞察は、生産的な曖昧さへの強さは固定的な性格特性ではないという点だ。それは開発可能な一連の実践であり、その実践は、厳密な分析や科学的伝統の訓練を受けた人には馴染み深い方法論に沿っている。
1つ目の実践は、結論をあらかじめ用意して入るのではなく、真に開かれた姿勢で曖昧な状況に入ることだ。組織の文脈における曖昧さへの強さに関する研究は一貫して、不確実性の下で最も成果を出すのは「不快をまったく感じない人」ではなく、その不快さに対する認知的・感情的反応を調整し、最初の仮定に固着して収縮するのではなく柔軟でいられる人だと示している。ここで求められる規律は、状況が何を含んでいるのかを明らかにする機会が得られる前に、早々に枠組みを狭めてしまいたくなる人間的な衝動に抗うことである。
2つ目は、仮説によって構造を持ち込むことだ。何が真実かもしれないという作業仮説を持つことは、結論を固定しないまま探究の足場をつくる。これはマッキンゼーの問題解決アプローチの礎であり、核心においては、ビジネス文脈に適用された科学的方法でもある。仮説駆動思考の力は、曖昧さを感情(「何が起きているのかさっぱり分からない」)からプロセス(「こうかもしれないという仮説があり、こうやって確かめる」)へと変換する点にある。この「感情」から「プロセス」への転換が、曖昧な環境で立ち止まる人と、速度をもって前進できる人を分ける。
3つ目の実践は、どの時点で「十分な証拠」を得たと言えるのかを見極めることだ。曖昧な環境における根強い罠の1つは、集められるデータが常に追加で存在し、求められる視点も常に増え、分析も際限なく回せることであり、完璧主義が厳密さを装う点にある。意思決定科学では、この閾値を「許容できる証拠(acceptable evidence)」と呼ぶ。すなわち、全体像が不完全なままでも行動に移せるだけの十分な確信である。経済学者ダニエル・エルズバーグは、いまや有名な1961年の思考実験で、多くの人が未知の確率を強く嫌うあまり、曖昧な結果を伴う選択肢が客観的に同等、あるいは既知の代替案より良い場合でさえ、体系的にそれを避けることを示した。このバイアスは、行動経済学で最もよく記録された知見の1つとなっており、研究室と同じ確度で会議室でも作動する。これを上書きするには、不安ではなく証拠が次の一手を決めるようにしなければならない。
なぜこの区別が今重要なのか
プロフェッショナルの環境は、従来のマネジメントフレームワークの多くが想定していたものより、構造的に曖昧になっている。産業の境界はあいまいになり、科学技術の発見のスピードは規制のインフラを追い越し、かつて予測可能な弧を描いていたキャリアパスは、反復的な実験の連なりに近いものになった。健康寿命のバイオテックから人工知能、気候テックに至るまで、到達点、標準、規制上の道筋に関する根本的な問いは、まだ完全には解決されていない。
適切なメンタルモデルで臨むなら、これは、それをそうした機会として捉えられる人と組織にとって途方もない創造的好機である。次に求人票で「曖昧さに強いこと」が求められていたら、その意味をさらに掘り下げる価値がある。その役割が、不確実性の中に無期限にとどまれる人を必要としているのか。それとも、仮説を1つずつ、意思決定を1つずつ積み上げながら、そこから抜け出す道を築こうとする人を必要としているのか。この違いは言葉の問題ではない。誰が採用され、何がつくられ、組織が混沌から明確さへ移行する速度がどれほどになるかを左右する。
曖昧な環境で最も有効なリーダーは、不快を最も感じない人であることは稀だ。彼らは不快を明確に感じ取り、正直に言語化し、構造化された探究の道具を手に取って、構築を始める人々である。



