私は信心深い人間ではないが、宿命は信じている。同時に、目標設定と努力なくして何かが成し遂げられることはないとも考えている。この2つの考えは矛盾するのだろうか。どちらか一方が、もう一方を否定するわけではない。リーダーは運命に選ばれ、いずれその地位へと至るよう定められているのだろうか。
企業の最末端からキャリアを始め、やがてトップとして組織を率いるまでに上り詰めたCEOの有名な2例がいる。18歳でゼネラルモーターズの組立ラインに立ったメアリー・バーラ、そして高校生の頃にウォルマートの配送センターでトラックに荷物を積み込んでいたダグ・マクミロンだ。彼らの成功は、各段階での懸命な努力、勤勉さ、そして学びの積み重ねによるものだったと示唆するだろう。だが同時に、彼ら自身も「適切な場所に適切なタイミングでいた」恩恵を受けたと言うのではないかと思う。彼らが企業の舵取り役に据えられたのは、運命、執拗なまでの献身、そして常識に裏打ちされた知性(緻密な観察力と好奇心に支えられた知性)が混ざり合った結果である。18歳の時点で、彼らはやがて訪れる成功を想像できただろうか。
運命。宿命。人生には自分ではコントロールできないことが多々ある。最も有能な人、あるいは最も努力した人が、常に昇進を勝ち取るのだろうか。すべての企業文化でそうとは限らない。すべてのCEOは、その地位へ至るのを助けた才能を備えているのか。オーナーの子どもでない限り、たとえその能力が出世の過程で追い越していった人々の目には見えなかったとしても、成功を後押しした力は確かにあった。しかし同時に、道中で助けを得たことも間違いない。メンター。チャンスを与えてくれた人々。つまずきから学ぶ余地を与えてくれた人々。そして、おそらく一度ならず幸運にも恵まれたはずだ。
偶然が機会と出会うとき
私は自らの会社を経営するところまで到達するために、たゆまず働いてきた。フォーチュン500企業のCスイートに至るまで、企業内の階段を上り続けた年月も含まれる。だが、私の人生のいくつかの状況は、運命を信じたくなるものかもしれない。文化大革命のさなか、中国の小さな村で生まれたことは運命だったのか。私が高校を卒業した年が革命の終結と重なり、政府が10年ぶりに大学入学試験を実施した最初の年だったのは運命だったのか。読み書きもできない農村の両親を持つ子どもが博士号を取得し、世界で最も近代的で裕福な都市のいくつかで暮らすことになるのは宿命だったのか。
偶然と意図的な行動の間で揺れ動く振り子は、止まることがない。私は学びに向いた生来の知性を持っていた。生物学が示すとおり、それは両親から遺伝的に受け継がれたものだ。機械工と農民が賢いはずがないと疑うだろうか。違いはこうだ。彼らが生きた時代と場所は、正規の教育を受ける機会を決して与えなかった。一方の私は、学校で懸命に学び、注意深く授業を聞き、私のことを最善へ導こうとしてくれた教師たちの期待に応えたいと願った。だが、もし私の運命が、数歳年上の兄のもの(彼と同じもの)だったなら、全国試験を受けて大学に進むチャンスなど得られなかっただろう。
こうした状況が整ったとき、運命による介入を最大限に生かすかどうかは私次第だった。文化をまたぐ経験と逆境を生きるなかで、レジリエンス、誠実さ、そして長期的な視点が、何が可能になるかを静かに左右することを私は知った。宿命は状況ではなく人格によって形づくられると私は信じている。意味ある人生を支えるのは出自ではなく、内なる強さである。人格が宿命をつくる。
あなたの幼少期は、おそらく私のものとは似ても似つかないだろう。私たちはそれぞれ、個別の旅路を歩んでいる。予見も制御もできない形で、人生の一部を決めてしまう運命があるのかもしれない。だが私たちは毎日、選択に直面している。そしてその選択が、私たちを新たな旅へと連れ出す。行き先が分かれば、たとえ道を踏み外すことがあっても、あらゆる一歩が目的を帯びる。
では、私たちがコントロールできるものは何か
第一に、夢を見る勇気を持ち、何でも可能だと信じる。第二に、高い目標を掲げ、自分を追い込み、決して妥協しない。第三に、あらゆる経験から学ぶ。良いことも悪いことも、心地よいことも不快なことも、常に問いかける。第四に、チャンスが訪れたら受け入れる。何か新しいことを学んだり経験したりする機会が与えられたとき、追加の責任を引き受けるよう求められたとき、前進の機会が訪れたとき、疑念や不安を脇に置いて飛び込む。そして最後に、何より重要なこととして、達成した成功を自分だけのものにしない。代わりに、後に続く人々の道から障害を取り除き、彼らが自分自身の目的地へと到達する機会を提供する。そうしているうちに、私たちは彼らの宿命における役割を演じているだけなのかもしれない(あるいは彼らが、私たちの宿命においてそうしているのかもしれない)。



