彼女は泳いでいるのではない。
ただ沈んでいるのだ。
よく見てほしい。彼女の口元を。かすかに開いた唇、それは「最期の歌」を歌っているからだ。歌いながら、死んでいく瞬間なのだ。
この少女の名はオフィーリア。
シェイクスピアの悲劇『ハムレット』に登場する、最も哀れな犠牲者だ。
かつて彼女は、誰もが羨む令嬢だった。恋人は王子ハムレット。幸せな日々が永遠に続くと信じていた。
しかし、ハムレットは父王の亡霊に取り憑かれ、復讐の鬼と化した。
優しかった恋人は、オフィーリアを「尼寺へ行け!」と罵り、冷たく突き放した。
そして決定的な悲劇が起きる。
ハムレットが、物陰に隠れていたオフィーリアの父を、仇と間違えて刺し殺してしまったのだ。
恋人に捨てられ、その恋人に父を殺された。温室育ちの彼女の心は、粉々に砕け散った。狂気に陥ったオフィーリアは、意味不明な歌を歌いながら城をさまよった。
「もう帰ってこないのかしら?
ああ、死んでしまった、あの人は。私も死の眠りにつこう」
そしてある日、川辺で花冠を作っていた時、柳の枝につかまろうとして川に落ちた。
狂気ゆえに自分の死に気づかない
ここからが、この絵の描く恐ろしい場面だ。
正気の人間なら、必死にもがいて岸に上がろうとするだろう。
もしくは、助けを求めて叫ぶはずだ。
しかしオフィーリアは違った。
狂気の中にいる彼女は、自分が川に落ちたことすら理解できなかった。
彼女はただ、美しい歌を歌い続けた。ドレスが水を吸い込み、どんどん重くなっても。そして冷たい水が肺に入り始めても。
まるで花畑で昼寝をしているかのように、穏やかに。
周囲に散らばる花々を見てほしい。
赤いケシは「死」を、忘れな草は「私を忘れないで」という思いを、パンジーは「無駄な愛」を表している。
これらは彼女が作ろうとしていた花冠の花だ。
つまりこの絵が描くのは、狂気ゆえに自分の死に気づかない少女が、美しい歌を歌いながら、ゆっくりと川底に沈んでいく瞬間なのだ。
【Summary】
彼女は決して泳いでいるわけではなく、このまま沈んでいく。



