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2026.03.12 11:15

静寂と絢爛が再び出会うとき |宮田裕章の「辺境」未来論 第3回

日本の美は、しばしば「侘び寂び」という言葉で語られる。しかし、そのイメージだけでは捉えきれない豊かな振幅が日本文化には存在してきた。京都・北野天満宮で始まったアートプロジェクトを手がかりに、宮田裕章が静寂と絢爛、祈りと祝祭が交差する日本の美の構造を読み解く。


桃山の時代、静寂と絢爛は後世ほど単純な対立図式ではなかった。草庵の茶室と黄金の茶室は同じ文化の振幅の両極であり、祝祭の華やぎと枯淡の美は、緊張感を孕みながらも往還していた。生命の力を誇示する色彩や過剰さと、張り詰めた静寂とは、截然と分けられてはいなかったのだ。

ところが19世紀末以降、この振幅の一方だけが「日本の本質」として切り出されていく。その過程は単なる誤解ではない。万博における国家表象、知識人や文化人による翻訳的言説、そしてそれを受け入れる内と外の制度的需要──それらが共振することで、侘び寂びは日本美の代名詞としてのポジションを獲得した。

注意すべきは、分断されたのが美意識そのものではなく、それを語り、流通させ、正統化する枠組みの側だったということだ。静謐や抑制が高尚な「日本らしさ」として前景化するとき、祝祭的で過剰な美、身体性を帯びた熱狂、混淆する感情のエネルギーは、同じ制度の中ではうまく位置づけられないまま、周縁へと退いていった。

失われた振幅を取り戻す試み

2026年2月から北野天満宮で始まっているアートプロジェクト「時をこえ、華ひらく庭」は、その失われた枠組みを組み直す試みである。そして私には、その舞台は北野天満宮でなくてはならなかったように思える。

北野天満宮は「学問の神」を祀る信仰の場にとどまらない。そこは、異なる制度や感情、階層、時間が、幾重にも折り重なってきた場所である。注目すべきは、その重層性の質だ。社寺が歴史の堆積をもつこと自体は珍しくない。しかしこの場所に特異なのは、異なる権力や感性が交差するたびに、既存の秩序が一時的に揺らぎ、その揺らぎ自体が次の表現を呼び込んできたという点にある。

1587年、豊臣秀吉が催した北野大茶湯がその最初の結節点だ。大名や町衆、さまざまな立場の人々がひとつの茶の場を共有した。もちろん、それは身分秩序が消滅したということではない。秀吉の権力のもとで演出された、きわめて政治的な祝祭空間だった。

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文・写真=宮田裕章

連載

宮田裕章の「辺境」未来論 ──Resonant Regions

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