起業家

2026.03.10 08:49

エグジット後に訪れた喪失感──ある起業家が「引き算」で取り戻したもの

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5年前、筆者はサンティアゴ・ハラミージョに「生きがい」についてインタビューした。生きがいとは、自分が愛すること、得意なこと、世の中が必要とすること、そして報酬を得られることが重なる領域を示す日本の概念である。

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当時の彼は、急成長する従業員エンゲージメント・プラットフォーム企業EmplifyのCEOで、何かを掴んだ人物のように淀みなく語った。回復はパフォーマンスを増幅させるものだと。意味はリーダーシップの要請だと。7歳でアボカドを売り、ある瞬間、完全に生きていると感じたコロンビアの少年の話もした。

彼が口にしなかったこと──そして、まだ十分に自覚していなかったかもしれないこと──は、その少年から自分がどれほど遠ざかっていたかという事実だった。

2021年、ハラミージョはEmplifyを5000万ドルで売却した。多くの尺度で言えば、成功を手にしたことになる。だが本人の言葉では、道に迷っていた。「以前と同じ心のガラクタを抱えたままだった」と彼は最近、筆者にこう語った。「ただ、腰にエグジットをもう1つぶら下げただけだった」

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LinkedInの経歴欄には書かれない物語

ハラミージョの物語は、表面的には典型的な移民の成功譚である。彼はコロンビアから米国へ渡り、複数の会社を立ち上げてはエグジットし、どんな場でも一目置かれる実績を築いた。だがその下には、より複雑な現実があった。週70〜80時間労働の10年、スペイン語から「ビジネス英語」へのコードスイッチ、そして本来の彼を彼たらしめていたアイデンティティが、ゆっくりと削られていく過程である。

「七三分けの髪型で、堅い企業リーダーを装っていたその奥にいたのは、移民の少年だった」と彼は振り返る。「どんなことがあっても成功する、と静かな誓いを立てた少年だ」。七三分けはもうない。だが、その精算にはもっと時間がかかった。

これは厳密には燃え尽きの物語ではない──燃え尽きは現実だったが。これは、高い成果を上げるリーダーたちが早い段階で自分にインストールし、めったに点検しない特定のOSについての物語である。いま犠牲にして、あとで生きる。長時間働き、自分の都合の悪い部分を抑え込み、エグジット、昇進、資金調達、IPOの後に「生」を先送りする。やがてその「あと」が到来しても、安堵がやって来ないとき、何が起きるのかを描いている。

データを見る限り、ハラミージョは例外ではない。2025年のVistage調査によれば、中堅・中小企業のCEOの71%が少なくとも「ときどき」燃え尽きを経験しており、32%は頻繁に、あるいはほぼ毎日それに達している。DDIの「2025 Global Leadership Forecast」では、燃え尽きたリーダーは同業他者を上回る成果を出す可能性が34%低いことが示された。さらに、健康を守るために職務を離れる可能性は3.5倍高い。要するに、上層部で人材のパイプラインが漏れているのである。

「引き算」

売却後、ハラミージョは、かつての論理からすればほとんど無責任にも思える行動に出た。10カ月のサバティカル(長期休暇)を取ったのだ。

「何年も突っ走ってきたあとに休むのは、居心地が悪く、怖いことだった」と彼は言う。コロンビアへ戻り、忙しさのあまり恋しく思う暇すらなかった子どもの頃の食事を口にした。ふたたびスペイン語を使う練習をした。ドラムセットを買った。アガサ・クリスティーを読み、スタンドアップコメディを観に行った。請求可能な成果も、スケール可能な価値も、スライドデッキで映える実績も生まない活動である。

だが、そこで生まれたものは別だった。定量化しにくいが、より持続するもの──自分自身への回帰である。

エグゼクティブコーチのジェリー・コロンナは、著書Rebootでこの時期のハラミージョの思考に影響を与えた人物だが、彼はリーダーにある問いを投げかける。その問いが彼を離さなかった。あなたは、自分が望まないと言っている状況をつくり出すことに、どのように加担しているのか?

居心地の悪い問いである。ハラミージョにとっての答えは、最高の仕事に不可欠だった資質(文化的な流暢さ、温かさ、全人格的な人間味)を、10年にわたり抑え込んできたという事実だった。

「最高の仕事は、今生きている人生に活力を感じ、インスピレーションを受け、エネルギーをもらうことから生まれる」と彼はいま言う。「先送りしている人生からではない」

異なるつくり方

ハラミージョはいま、企業が持続的にAIネイティブへ移行するのを支援するAI導入・変革企業Pragmaticoの共同創業者で共同CEOである。共同CEOという体制そのものが、以前のモデルからの意図的な離脱だ。共同リーダーのランディ・ストックリンは、Inc. 5000のエグジット経験を持つ起業家であり、ハラミージョの消耗につながっていた領域を得意とする。「持続可能な成功には、共有されたリーダーシップが必要だ」と彼は言う。「自分を燃え尽きさせる"孤高の英雄"創業者ではない」

同社はリモートファーストで、ハラミージョは米国とラテンアメリカの間で時間を分けて過ごせる。以前の自分なら贅沢に見えただろうが、いまの彼にはただ合理的に映る構造的な意思決定である。

Pragmaticoでの仕事は、意外な領域で彼の哲学を体現している。AI変革は、やり方を誤れば別の「搾取」になりうる。すでに消耗した人々に、さらなるアウトプットを求める手段になってしまうのだ。だがPragmaticoのアプローチは違う。犯罪系ポッドキャスト「Crime Junkie」でバイラルヒットを生んだAudiochuckと協働した際、同社は従業員に圧力をかけるのではなく、時間を取り戻す手助けをすることで、90日間でAI導入率を12%から95%へ引き上げた。ハラミージョの言葉で言えば、目標は「AIでより多くをする」ではなく、「人が本当に満たされる仕事をできるように解放する」ことである。

研究もその違いを支持する。ハーバード・ビジネス・スクールの研究者がボストン・コンサルティング・グループと実施した研究では、AIを使うコンサルタントはタスクを25%速く完了し、成果の質は40%以上高かった。だがそれは、AIを代替ではなく協働者として扱った場合に限られた。

AIとの協働に関する研究で知られ、ハラミージョの考え方にも影響を与えたウォートン校教授のイーサン・モリックは、これらのシステムをどう配備するかについて、リーダーは能動的な選択を迫られると論じる。人間の繁栄へ向かうのか、それとも逆方向へ向かうのか、である。

彼が会議室に残していく問い

ハラミージョはいま、リーダーに向けて話すとき、最後に1つの問いで締めくくる。「いつか」のために、あなたはいま自分のどの部分を犠牲にしているのか。その「いつか」は、永遠に来ないかもしれないのに?

鋭い問いであり、要点はこうだ。いつかは、しばしば想像していた感触では訪れない。エグジットは休息をもたらさない。昇進は、話すのをやめたスペイン語を取り戻してくれない。取引は、それを得るために脇へ置いた自分自身の姿を連れ戻してはくれない。

筆者が関わるリーダーたち(野心的で、価値観に基づいて行動し、そして次第に疲弊している人々)は、この話に自分の姿を見いだしがちだ。彼らは多くのことを効率よく進めてきた。キャリアにとって不都合に見えた自分の側面を、効率よく抑え込むことも含めて。

ハラミージョの軌跡が示唆するのは、それらの側面は不都合ではないということだ。むしろ源泉である。どこにも完全には属しながら、どこにも属しきれない「サードカルチャー・キッド」としての視点は、耐えるべき負債ではない。彼はいま、それこそが他者が見落とすものを見えるようにするレンズだと考えている。

「身体も、自律神経も、文化的アイデンティティも、人間関係も、いま搾取してあとで補充すればいい資源のように扱うのをやめた」と彼は言う。「回復を、売上を守るのと同じように守るようになった」

「いま犠牲にして、あとで生きる」というOSで走り続けているリーダーにとって、その捉え直しは、少なくともエグジットに匹敵する価値がある。

forbes.com 原文

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